第六十七話
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アスターがバラに与えた役目は、王に付き従う近衛騎士や、他の侍女に混ざり、ジャダルから直接情報を得る事だ。
もちろん、彼女は出自が平民の侍女長であるため、会話から引き出すというわけではない。エイロス国王とジャダルの会話から、現在の状況を伺うのが役割だった。
バラは数人の侍女と共に、食後の紅茶を用意しながら思案を巡らせる。
国王に付いて数日。ジャダル第三皇子は他の国に比べて、足を運んでくる回数は確かに多い。だが、これといった進展はなく、流石に第三皇子も警戒をしている様子が窺えた。
気になるのは、ジャダルが話す内容だ。
鉱物の貿易について話したのは始めくらいで、ほとんどライネリカの話をしているのである。
誉めそやして感嘆の息を零す様は、国王から見ても異様なのだろう。明日の晩餐会でエスコートの希望まで持ち出され、流石にやんわりと拒否していた。
そろそろライネリカの側に戻り、進展がない事を報告するべきだろう。
他の侍女と共に、エイロス国王と王妃が使用している客室に紅茶を運び入れると、王妃はシスボイリー国の使者に呼ばれ、席を外していた。
窓際で熱心に大国の新聞を読んでいる国王の前に、柔らかな湯気を立てる紅茶を置くと、彼は顔を上げて柔和に目尻を下げた。
「おお、すまないなバラ。……お前もそろそろ、ライネリカの側に戻った方が良いだろう。隣の部屋に、王妃が用意した宝石類がある。少し持っていってやくれまいか」
そういえば出立前に王妃が、上機嫌でライネリカ用に見繕っていたのを思い出す。好意に甘えバラは深く頭を下げると、隣の部屋に足を向けた。
扉を開けて中に入り、化粧台の前に置かれた、小さな宝石箱に目を留める。足音も静かに近寄って箱を開け、ライネリカが好みそうな色合いの宝石に表情を和らげた。
晩餐会では、入国時に着用していたようなドレスにすると、フィーガスから聞いている。であれば青か紫系統、もしくは深い赤だろうか。
愛する姫の喜ぶ顔を思い浮かべつつ、宝石を取ろうとして、バラは動きを止めた。
鏡に映る扉が、閉まっている。
ヒヤリとしたものが背中を駆け上がった瞬間、勢いよく振り向いたバラの口を、大きな男の手が細い顎ごと掴んで塞いだ。
「……ふん、貴様が侍女長のバラか。話に聞いていたより若いじゃないか。検討外れな相手を注視していたぞ」
無表情に近しい顔でそこに居たのは、バラが様子を偵察していたジャダル第三皇子本人だった。
なぜ、という疑問以上に、してやられた、という怒りが湧き上がる。
エイロス国王夫妻の客間に、シスボイリーの皇子と言えど、そう簡単に入室できるわけがない。それこそ事前に国王が許可しなければ、なんの気配もなく潜めるはずがないのだ。
誘い込まれたのだ、自分は。
この男の目前に現れるように。
バラは下手に抵抗せず、しかしジャダルを睨み上げた。第三皇子は少し眉を顰めたものの、すぐに鼻で笑ってバラを掴む腕に力を込める。
「侍女長よ、貴様に要件がある。……抵抗するな。俺も手荒な真似がしたいわけではない」
顎の骨が軋んで、痛みが徐々に増していく。このまま力を加えられては、顎を砕かれかねない。バラは跳ね上がる心音を抑えつけ、目線を伏せて肯定の意を見せた。
ジャダルはゆっくりと手を離すと、腕を組んで僅かに顎を上げた。
「エイロス国王陛下は、随分あの異国の弟王に辟易しているようでな。我が国の第十二皇子より、俺に交渉権を移したがっている」
「……」
「だが、国内を武力で統制するのは、なかなか部が悪くなっていてな。交渉権を譲渡させるには、まず、父上を納得させる大義名分が必要だ」
静かな声音だが、確かな威圧感が空気を支配する。何を意図したいのか掴み損ね、バラは両手を体の横で強く握りしめた。
ジャダルが己の耳から下がる、シガリア鉱物に指先で触れる。無色透明であった鉱物は赤黒く変色し、バラの目から見ても、もはや男が正常ではない事を理解させた。
彫りの深い顔立ちに、感情が振り切れた瞳が浮かんでいる。
目的の為なら何をしても厭わない、狂人の双眸だった。
「貴様には、有益な交渉材料になってもらう」
ジャダルが衣服の内ポケットから、小瓶を取り出す。サラサラとした粉末が、窓から入る陽光に照らされて、透明に輝いた。
バラの片手を掴み、その小瓶を握らせたジャダルは、無骨な手で軽くバラの肩を叩く。
「これを知っているか? 知っているだろうな、だから俺の周囲を嗅ぎ回っていたのだろう。わざわざ他国に嫁いだ姫まで利用して、分かっていないとでも思ったか? 生憎、俺は出自の卑しい皇子と違って、優秀な部下が多いのだ」
バラの額から、冷や汗が流れ落ちる。
宮殿内は、ジャダルとこの男を王に据えることで恩恵を得る臣下に、こちらの予想以上の規模で掌握されているようだ。
小刻みに震える片手の中にあるのは、フィーガスが横流しした、危険な鉱物を粉末状に砕いたもの。ジャダルとエイロス国王との会話から、側近以外の連中にはまだ売り払っていないと思っていたが、案の定だ。
シガリア鉱物を粉末状で使用する用途は、特に戦闘国家であるシスボイリーでは限られている。
これを自分に、どうさせようとしているのだろう。
「あの小賢しい怪物が用意した物なのだろう? どれほど安全か、検証させてやくれないか」
この部屋に入って初めて、ジャダルが笑った。
他人の尊厳を貶めることに愉悦を感じるような、極めて残忍な、歪んだ顔だった。




