第六十六話
「……退場、とは?」
言い切ったラジレイシアに、フィーガスが問いを返す。彼女はライネリカを膝から下ろした後、末姫の頭を優しく撫でてから目を細めた。
「かの第三皇子殿下の失脚後、リュグザ殿下が正式に王位を継ぐのは良いとして。次に発生する問題が、我々、エイロス国の問題ですわ」
シガリアが覚醒する前に必要な、一番重要な条件。エイロス国民の大移動だ。
ラジレイシアはそれを行うのは、ラインギル第一王子であるべきだと主張する。つまりエイロス国内でも世代交代が必要だ、という事だ。
ラインギルに王政を交代させ、それを機に、シスボイリー国へエイロス国を併合させる。大義名分が必要なら、シスボイリーへの叛逆を企てた事とすれば良い。
事実、今の国王とラヒューレの行動は、そう捉えられてもおかしくないのだ。第三皇子の立場が弱まれば、それだけ擁護できる人物も減っていく。
「ラヒューレ兄上さまは、お父上さまと動いておりますのでしょう? であれば一網打尽に出来る機会かと、あたくしは捉えますわ」
「……父上も一緒に、失脚させるって事っスか」
「ええ。……もちろん、今すぐにではなく、その足掛かり程度かもしれませんわね。それでも、画策するのとしないのとでは、今後の動きに雲泥の差が出ますわ」
キリノスの表情は渋い。実父の失脚云々ではなく、ライネリカを囮とする今回の作戦で、そこまで踏み込んで良いのかを決めかねているようだった。
ジャダルと秘密裏に動いているラヒューレ。その裏についているエイロス国王。その三人を相手取りながら、祝賀会中にどこまで有利に動けるのか。
シスボイリー側にいる味方は祝賀会の対応もあり、それほど多くの時間を案件に割けない。代理参加のラジレイシアも然りだ。
片手を口元にあて、なんとも返答できずにいるエイロス国第三王子に、ライネリカが声をかけた。
「兄……、……キリノスさま。わたくしとアスターは、妃さまやご夫人方を対象に話を聞いてきまして、今のジャダル第三皇子殿下のご様子を伺う事が出来ましたの」
「うん?」
「“人が変わったようだ”……と、みなさま、おっしゃっておりましたわ」
アスターはリュグザの正妃として確かに敵は多いが、宮殿内で協力関係の人間が居ないわけではない。彼女はライネリカを連れて、そういった他の妃たちを周り、ジャダルに関する噂話を集めてきた。
皆一様に、第三皇子の変わりように驚いている。厳格で下々の者にも気を配れる男であったはずなのに、口を開けばライネリカに関する話題ばかりで、妃とも関係が悪化し始めているということだ。
それはそうだろうと、キリノスは苦笑いを交えて頷く。
「そりゃ、人体を殺す薬物っスよ。いくら強靭な精神力があったって、あんなもん、制御できるわきゃないっしょ」
「はい。フィーさまが、アレは強力すぎて人間には扱えない、と。つまり今の第三皇子殿下は、正常な判断を欠いているのですわ」
「それだけ危険だっつーことだよな」
「そうですわ。ですがそれだけ今の第三皇子殿下は、隙があるという事になると思いますの」
市場に出回っていない未知数の鉱物を身につけるだけ、ジャダルには余裕がある。それは同時に、危機感を失い、欲求に忠実になっていると彼女は考えたのだ。
フィーガスは腕を組み、片足に体重を乗せつつ思案する。
ラヒューレとて、全てのシガリア鉱物を解析できるわけではないだろう。特にジャダルに横流ししたものは、生きているシガリアの一部。今ある設備内で正常な測定は、まず不可能なはずだ。
であれば、市場に出回っている物で一番近しい効用の物と比較し、その危険性や有益性を確認するしか方法がない。
それが度を超えた、一種の不条理さえなる代物であってもだ。
「……リュグザ殿下の側近としての、キリノスさまに申し上げますわ。あたくし達が行っているのは、無血の戦争ですのよ」
ラジレイシアの静かな声音に、キリノスは更に渋面を作る。
「ここで引いた方が負けなのではなくて? 強気で参りましょう。大丈夫、必ず切り抜ける策を見い出しますわ」
フィーガスは己の胸元に下がるペンダントを、片手で触れて存在を確かめる。
これも同じ鉱物から作られているが、用途が違う。無色透明なこの鉱物を、根本から理解しているのはフィーガスとリュグザだけだ。
それはこの先、戦う上での武器になる。
キリノスが口を開こうとした瞬間、応接室の扉が叩かれて、彼は振り返った。
返事を待たずに僅かに空いた隙間から、リンドウが青い顔を見せる。すぐさまライネリカが立ち上がり、扉の側へ近寄った。
「ひ、ひめ、さま」
「リンドウ、どうされたましたの? ……っお母上さま?」
隙間から確認したリンドウの後方で、同じく蒼白な王妃が、数人の近衛騎士を引き連れている。
キリノスとラジレイシアが居るため、入室を許可するわけにいかず、フィーガスが急足でライネリカに寄り添って、共に扉をくぐった。
「ああ、ライネリカ、オージオテラサス弟王陛下、バラは来ていないでしょうか?」
「バラ、ですか? お父上さまの護衛だったのでは?」
訝しむライネリカに、フィーガスも同様に眉を寄せる。
アスターの指示に従い、バラはエイロス国王の護衛として、共に行動していたはずである。彼女は王妃に命じられた建前もあり、ジャダルと直接近い位置にいても不審に思われないと、アスターが判断したからだ。
王妃は細い両手の指先を組んで、力無く左右に首を振る。
「そうなのよ、でも、明日は晩餐会でしょう? だから、ライネリカの側に戻そうと思って、声をかけたかったのだけれど……」
「…………居ない、のか?」
思わず声が震え、フィーガスはライネリカを一瞥する。
王妃は呼吸を止めたライネリカを見つめ、涙を浮かべながら組んだ両手を口元に引き寄せた。
「そうなのです、王と一緒に居るとばかり思っていたのに、王も今朝会った後から、姿が見えないと言っていて。どうしましょう、ライネリカ。バラがどこにも居ないのよ……!」




