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第六十四話





 シスボイリー国へ到着する前、馬車の中で互いの話をしていた時に、ライネリカからラジレイシアの処遇があまり良くない、と言う事は聞いていた。力も意志も強い姉姫だが心配なのだと、肩を落としていた婚約者の顔が浮かぶ。

 フィーガスは脳内で少々言葉を選んでから、口を開いた。


「……なるほど。これほどの美女を捕まえておいて、良いご身分の男だな」

「まぁまぁ、閣下。お世辞でも嬉しくってよ」


 外は夜の帳を下ろし、室内灯がラジレイシアの顔を照らす。暗影のせいか、変わらぬ笑みを浮かべながらも、僅かに疲れが滲んで見えた。

 彼女はバルコニーの手すりにグラスを置いて、扇で口元を隠しつつ、そっと視線を外に向けた。目下に広がる庭園を眺めながら目を細める。


「その方が都合が良いので、構わないのですわ。下手に傍にいても、ボンクラすぎて商談の邪魔になりますもの」


 公爵家を取り仕切っているのは、実質ラジレイシアだ。彼女が上手く夫を取り仕切り、家令や他の使用人に指示を出し、直接商談に赴いて交渉することで、公爵家は王族の分家という体裁を保っている。それは国に属する領地や、隣国にも知れ渡っていて、彼女が信頼を勝ち取っているからこそ、円滑に業務が遂行されていた。

 フィーガスは同じく視線を庭園に向ける。


「……夫婦間は、上手くいっていないのか」

「当然ですわね。夫が欲しいのはエイロスの貿易優先権と、何でも言うことを聞く従順な女。それだけですの。まったく、女王陛下の弟君でなかったら今頃、性別を変更して差し上げてましてよ」

「…………怖いことを言うな」

「閣下、お気をつけくださいませ」


 扇を使って、わざと小声で密やかに話すラジレイシアに、フィーガスは思わず笑ってしまった。片手で口を押さえて肩を震わせると、彼女は表情を和らげる。


「さて、緊張は解れたかしら」

「…………、……え……」

「怖い顔をしていらして、困った白馬さま。あたくしに何かお望みでなくて?」


 ラジレイシアの意図が分からず、困惑して視線を向ければ、姉姫は優美に微笑んで扇を閉じた。


「閣下がわざわざ人の多い場所で、一人でいましたもの。あたくしの誘いは断らないので、待ち人ではないでしょう。であれば、何かを探しているか、調べたいことがあってあの場に留まっているか……、どうでしょう閣下」

「…………」

「社交場で何かを得ようとするなら、気難しい顔で壁の花になるのは、悪手ですわよ。ああでも……ご事情がおありでしたら、ごめんあそばせ」

「い、いや、……少し、第三皇子の事で、知りたい事があってな。情報収集をしていたんだ」


 危険が伴うため、全ての情報をこの場で話すことは出来ない。

 ジャダルが身につけているシガリア鉱物の件で、何か広まっている情報がないか探りたい旨だけを、先ほどより更に声量を落として伝える。

 収集の方法と、誰を対象にした調査かもかいつまんで話せば、彼女は指先を唇に当てて僅かに考え込んだ。

 ややあって、視線を斜め上に向けながら、ラジレイシアが再び扇を広げる。


「……なるほど。その情報が統制されている可能性はありまして?」

「ないとは……言えないだろうな」

「であれば尚更、ただ聞いているだけでは欲しい情報は得られなくてよ、閣下。情報統制されている案件は、大概、口の堅い臣下に伝えられる物ですわ。もし自然と閣下の耳に入る程度の情報であれば、錯乱の可能性もありますもの」


 ラジレイシアの主張に、フィーガスは険しい顔で沈黙する。

 確かにフィーガスが居ることで、あえて誤った情報を流すと言う可能性は十分にある。視野に入れねばならないだろう。フィーガスの部下が潜んでいる場所は違うが、それでも慎重に見極めなければならないのは事実だった。

 リュグザが、アスターに伝えた内容を思い出す。


 ── アスタロイズは我が君を護衛しつつ、他にこの鉱物が流通していないか見極めを。


 数ある情報から取捨選択しなければ、欲しい答えは導き出せない。

 黙するフィーガスに、ラジレイシアは軽く扇を振った。


「大丈夫ですわ、閣下。……さぁ、あたくしに何を望まれますの?」


 視線を上げた向こうにいる彼女は、ライネリカと同じ顔で、紅の引いた口角を吊り上げる。

 ラジレイシアは、公爵家のほぼ全てを掌握する女傑だ。交友関係や他国との取り引きから、エイロスの王族として貴族と渡り合う術も心得ている。

 その場しのぎの対策で切り抜けようとする異国の徒より、よほど頼りになる存在だった。

 敬愛する姉姫を巻き込むことに、おそらくライネリカは良しとしないだろう。リュグザやキリノスは来賓客として彼女がいる事を知っていただろうが、あえて話題を出さなかったのも、ライネリカへ配慮があったからだと推察できる。

 ──だが。

 フィーガスは真っ直ぐに、室内灯に照らされて、細い輪郭を柔らかく視界に揺らすラジレイシアを見つめる。

 自分一人では、この場で立ち回るだけの切り札がない。

 先回りされ、ジャダルに作戦を封じ込まれようとする現状に、フィーガスは一矢報いる覚悟がいるのだ。


「……ライネリカの為に、力を貸してほしい、ディアモリス公爵夫人」


 ラジレイシアが、全てを察したように笑みを深める。

 まさしく高嶺の花に相応しい、戦女神の艶笑だった。


  


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