第六十二話
少なくとも思い描いていた作戦通りに行動しては、逆に意表を突かれる。慎重に動いた方が良いだろう。
僅かな時間考え込んでいたアスターが、眉を寄せて顔を上げる。そして片手を己の胸に当て、腰を折った。
「主さま。私に指揮権をお与えください。今この状況で、分断して動くのは危険と判断いたします」
「……アスター……」
「それに、私がリュグザさまとの中継役になりましょう」
リュグザの名前に、ライネリカはぐっと息を詰まらせる。
緊急事態だ、報告しない訳にはいかない。第三皇子が個別に動いているのであれば、尚更だろう。
迷惑をかけないと宣っておいて、早速迷惑にしかなっていない状況に、片手を頬に当ててため息を吐き出す。
「……申し訳ありませんわ、アスター。あなたは皇太子妃としての立場もありますのに、わたくしは夫婦間の妨げばかり……」
ライネリカの呟きに、アスターは目を丸くすると、堪えきれず吹き出して片手で口を覆い、僅かに肩を震わせた。キョトンとした顔で見つめるライネリカに、彼女は首を左右に振って柔和に微笑む。
「失礼しました、でも、ご心配なく。私はリュグザさまの妻、皇太子妃である前に、ライネリカ第二王女殿下の『騎士』にございます。それはリュグザさまも同様です。……何でも優先されるべきは、主さまの安寧にございます。どうかそれだけは、美しきお心にお留め置きください」
▽ ▽ ▽
目の前で粉砕されたシガリア鉱物に、白馬はあらゆる言い訳を腹の奥まで飲み込んだ。
無表情に近しい顔のリュグザが、握りつぶした鉱物のカケラを、床に敷いた布の上に払う。手の平と布に付着した粉末を見つめ、息を吐き出した。
苦笑いを浮かべながら同じく布を見下ろしたキリノスが、手袋をした両手で粉末を細い形状のガラス瓶に入れ、別の液体を垂らす。粉末はみるみる赤黒く発光し、一切強く熱を帯びたかと思えば急速に硬化した。
「……なるほどねぇ……、人体を殺す薬物っスよ、これ」
間伸びするキリノスの声にも、やや険が滲んでいる。白馬の横で馬具の手綱を持っていたアスターが、やれやれと溜め息を吐き出した。
「本当、こんな危ない物の原石をジャダルに横流しするなんて。主さまが一枚噛んでいなかったら、今すぐにでも針の筵にしてあげてたわ」
声音は穏やかだが、本気なのだろう。手綱を握る手に力がこもっている。おまけに空中へ数本の針が舞っているので、フィーガスが応答を誤ればそのまま串刺し、という可能性もあった。
アスターの指揮で互いに動く事になったフィーガスは、ひとまず今回の状況を作り出した鉱物に付いて説明するために、兄の自室を訪れていた。
本当はライネリカも出向きたい意向だったのだが、下手に動いてはジャダルの関心を引いてしまう。その点、普段から自由に出入りしているフィーガスであれば、不審がられない。
バラも別行動に入り、ライネリカとリンドウだけを残していく事に不安はあった。しかしアスターが用意した部屋には、キリノスの結界も張ってある。早めに要件を済ませて、アスターに戻ってもらうのが良いという判断になったのだ。
「ま、それを見越してネリカと作戦を練ったんでしょーけどね。……殿下、ひとまず俺は、第三皇子殿下の最近の動向を探ります」
背を伸ばしながらキリノスが立ち上がると、リュグザは一度目蓋を閉じ、フィーガスに向き直った。恐ろしいほど熱を伴わない冷めた瞳に、身震いして姿勢を正す。
「……言い訳も謝罪も言わないことは、評価しましょう。我が君が毅然と振る舞っている傍で、お前が頭を下げたら、それこそ頭を潰しているところでした」
通常よりも低い声音に、兄の逆鱗に触れそうになっている事を、ヒシヒシと感じていた。
彼女のように凛としなくては。リュグザに対し、謝罪は要らないと言ったのは自分自身なのだ。リュグザへ必要以上に頼る事なく、自立して行動できる自らを示したい。
兄の超大な力を抑え込む人間の器が、壊れてしまわぬように。
黙して、しかし真っ直ぐに兄を見つめる弟に、リュグザは一呼吸置いてから、相貌を崩して軽く片手を振った。
「……キリノス。提案通り、ジャダルの動向を探ってください。アスタロイズは我が君を護衛しつつ、他にこの鉱物が流通していないか見極めを」
「へーい」
「わかったわ」
「それからフィーガス。お前はなるべく我が君と行動しなさい。……本来なら、部屋も同室と言いたいところですが、未婚ですからねぇ。そこは致し方ない」
リュグザはゆっくりとした動作で白馬に近寄ると、片手で鼻先を軽く叩いてから、鼻梁に己の額を押し付ける。人間にしては低い体温が皮膚を通して伝わるのを、フィーガスは目蓋を閉じて受け入れた。
「……心配しなくていい、困った時は頼りなさい。時間が空いたら、ライネリカ第二王女殿下に失礼を働いたことを、謝罪しにいきます」
「兄様」
「お前の方がよほど、一歩先に進んでいますよ。……己を信じて、いきなさい」
離れていく温度を追いかけるように目を開ければ、視線の先で表情を緩ませる。兄が一歩後ろに下がる分だけ、心を動かす原動力が、緩やかに別の何かへ移っていく感覚がする。
それで良いのだと、思う。
今はまだ寂しさの方が上回っても、いずれその感情の特別を与える相手は、あの小さな少女に代わっていくのだと、そう思うのだ。




