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第五十九話






 アスターはリュグザの首に腕を回しながら、鼻先を擦り合わせる。


「あたしも、命と等しく大事だわ。でもねリュグザさま。ライネリカ第二王女殿下は、これから大人になっていくのよ。あたしたちの知らない場所で、目の届かない場所で、大人になっていく人なの」


 見つめる金色の瞳に、感情の色は乏しい。アスターは構わず唇へ甘やかに吐息を重ねて、柔らかい黒髪に指を通す。


「心配も庇護も、愛情も欲求も、その役目を担うのは、ゆっくりとあたし達じゃなくなっていく。……ねぇリュグザさま。その寂しさを、あたし達は受け入れないといけないわ」


 エイロス国の美しき第二王女。彼女は死する次代の国母ではなく、未来へ歩む一人の少女になっていく。

 真綿の檻で包み、出られないよう鍵を掛けてはいけない。守護を言い訳に、主義主張を殺してはいけない。

 ライネリカは、いつまでも子供のままで居られない。その一歩を作ったのは、紛れもなくリュグザなのだから。

 大人になっていく妨げではなく、手助けできる場所に。隠れて囲って、思考を停止させるのではなく、安心して背を預けられる場所に。自分たち二人は、そう在るべきだ。


「主さまは弱虫じゃない。変わろうと努力されているわ。……ねぇ、リュグザさまは、そのままでいいの?」

「……」

「あたしたちは、このままで、いいの?」


 自問に聞こえる問いかけに、リュグザは息を吸い込む。

 言いようのない不安も、寂しさも、乗り越えなければならないのは同じ壁だ。

 大きな手が頬に触れて、アスターは目尻を下げて目蓋を閉じる。

 触れ合う感情のその先に、心の奥底から願える幸福があるはずだと、そう思うのだ。


 ◆ ◆ ◆


 バラは客室で扉の前に控えながら、無表情のまま、じっと室内を見つめていた。

 視線の先には、エイロス国王夫妻が小声で話し合っている。


「ラインギルよりアルヴィアが居るとは聞いていたが、侍女ではなかったのか……」

「まさか皇太子妃になっているなんて。でも、おかけでライネリカの事は安心だわ」


 眉根を寄せて唸る国王と対照的に、王妃は朗らかだ。

 人種のるつぼであるシスボイリー内で、信頼する騎士団長が常にライネリカの傍にいれば、これほど心強い事はないだろう。王妃は早々にアスターの立ち位置を受け入れたようだった。

 エイロス王妃は基本的に、大変柔軟な思考回路を持っている。遠方から嫁いできた妃だが、すぐにエイロス国の慣習を受け入れたのもその為だ。

 対する国王は、どうにも歯切れが悪い。アスターと顔を合わせてからずっとだ。それが気にかかり、バラはライネリカをリンドウに任せ、暫し国王夫妻に付き従っていた。


「……? どうされましたか、王。アルヴィアが居ることに、何か問題でも……」

「い、いや、そうではない。ただ、……姉上にどう説明しようかと思っておるのだ。義兄上は心配していないが、流石に姉上は、便りの一つも寄越さずにと、時々こぼしておったからな……」


 なるほど、とバラは表情に出さず内心で頷く。

 国王にとって姉の子供であるアスターは、その側面から見れば心配の種だろう。話ぶりからラインギル第一王子が、彼女の両親にも話を通しているようだが、居場所や状況を分かったからとて、潜伏していては下手な伝達が出来ない。

 それでも心配な親心は、バラも理解しているつもりである。

 これなら問題ないだろうと、ライネリカの側に帰還しようと踏み出しかけ、背後で扉が叩かれて振り返った。

 隙間を空けて確認すると、隣室で準備をしていた別の侍女が、ジャダル第三皇子の訪問を伝えてくる。バラはポケットに忍ばせている手帳を取り、状況を走り書きしてから国王夫妻に近寄った。

 活字を目で追った国王が、頷いて立ち上がる。


「分かった、すぐに行く」

「まぁ、では私も」

「……いや、お前は残っていてくれ。もしかしたら誰か訪ねてくる可能性もあるからな」

「あら……そうね、そうしましょう。ではバラ、王に着いて行ってくれますか?」


 王妃の指示に、いささか驚いて目を瞬かせた。もちろん他に使用人は付き従うが、王妃が自分を遣わすのは珍しい。国王も同じ疑問を思ったのか、軽く片手を振った。


「いや、バラはいつも通り、ライネリカの元に」

「大丈夫よ、あの子にはリンドウとアルヴィアがおりますし、フィーガス弟王陛下もいらっしゃるでしょう? ……あなた、ここはエイロス国ではないのですよ。バラを護衛につけるべきです」


 ライネリカの『騎士』となってから、確かにバラは並の男より強い自覚はある。とはいえ、王妃にその力を買われているとは思わず、僅かに首を傾けた。

 小声ながらも笑顔で忠告の念を押す王妃に、国王は数秒ほど詰まってから渋々頷く。そしてしっかりとした足取りで歩き出し、廊下で取り巻きの側近たちに囲まれたジャダルを迎え入れた。


「お待たせし、申し訳ない」

「いいえ、こちらこそお休みの所、申し訳ありません。お時間を頂いても? 先日、ラヒューレ第二王子殿下より、新な鉱物が出土したと伺いました。ぜひ他の国より先に、商談のお願いをしたく」

「ああ、ラヒューレより伺っていますぞ。参りましょう」


 薄く笑みを浮かべながら会話をする第三皇子に、バラは微かに眉を顰める。

 一見変わりないように見受けられるが、どこか視線が浮ついていた。まとう空気が、歪に澱んでいる感覚がする。暴力的な欲求を、仮面の下で押さえつけているような薄気味悪さだった。

 片耳から下がるシガリア鉱物が、威力を発揮しているという事なのだろう。

 第三皇子はエイロス国王や使用人達を連れ、悠々と歩き出す。

 バラは他の侍女に紛れながら、その異様な気配の背中を睨みつけた。


 

 


 

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