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第百十五話




 ▽ ▽ ▽



 フィーガスは一人、翼を羽ばたかせて浮遊しながら、シガリア鉱山の上空を闊歩していた。

 目下では鉱物を採取する職人たちが、慌ただしくも生き生きと動き回っている。

 

 フィーガスがエイロス国に滞在するようになり、季節は変わり。

 もうすぐ初めてライネリカと出会ってから、一年が経とうとしていた。

 シスボイリーの新国王にリュグザが戴冠し、アスターが皇后に昇格した後。大国はエイロス国第一王子ラインギルと手を組んで、シガリア鉱物の大規模採取に乗り出していた。

 名目上は異国の地、『神の国』に行くための巨大な門の建設である。

 今現在、神の国に入国する為には、シガリア鉱物を加工した品を身につけ、狭い門を通り足を踏み入れる事が必要だった。その為に必要な準備が数多くあり、かといって鉱物には使用限度があるため、おいそれと行き来できる場所ではない。

 しかし今後、門が完成すれば自由な行き来が可能になると、リュグザは嘯いたのだ。

 門が完成したからといって、生身の人間が自由に行き来できるほど、フィーガスの故郷は甘くない。神々にとって人間など、知恵のついた矮小な玩具だ。足を踏み入れれば最期であることを兄も知っている。


「確かに自由な行き来が可能になるとは言いましたが、生きている人間が、とは一言も言っていませんよ」


 大国の重鎮達と共に会議を終えた後、ハラハラとした様子で眉を下げるラインギルに、リュグザが事もなさげに言ったのも、記憶に新しい。

 シガリア鉱物の汎用性と、未開の地への領土拡大に目がない人間達は、巧みなリュグザの口車に乗せられて、多くの資金を出資してくれた。

 エイロスの職人たちも、大仕事に皆が喜び、多額の奨励金を胸に仕事へ勤しんでいる。

 リュグザが幼い頃から前王を唆し、粛々と進めていた工事であり、昼夜問わず行われる工程のおかげか、門そのものはほぼ完成していた。

 元々ある出入り口を拡張したのだが、その規模はエイロス国にある湖ほどもある。しかしリュグザが必要だと言えば、皆が右に倣えと肯定し、誰もその大きさに疑問を抱いている様子がなかった。

 フィーガスから見れば、まるで気が狂ったかのように、人々は門の建設に明け暮れている。

 働き手が多く必要な建設現場は、それだけ多くの雇用を生み、方々の国へ資金は動き、豊かさが生まれる。そういう類の特需なのだと兄は笑っていた。

 心を痛ませる立場でもないが、フィーガスはなんとも言えなかった。



 視察と称して、今日はシスボイリー王であるリュグザがエイロス国へ入る日だ。

 鉱山の様子もいつにも増して活気があるのは、新大国王に労働力を売り込みたい、国民の表れでもある。それに加えて、滅多に国を出ることがない美貌の皇后も来賓に入っているので、早く仕事を終えて城下に繰り出したいのだろう。

 フィーガスは顔を逸らし、エイロスの城まで駆けていく。

 あまりに世界は目まぐるしく変わっていくのに、美しい城は静けさに包まれていた。

 フィーガスが庭に降り立てば、所在なく歩き回っていたリンドウと出会(でくわ)す。


「閣下。お帰りでしたか」

「ああ。……シガリアは部屋にいるだろうか」


 視線を上げた先には、三角屋根の塔が見える。

 リンドウは嘆息して肩を落としつつ、頷いた。


「はい。……部屋に閉じ籠もり、出てきません」


 リュグザが今回、ラインギルに訪問の約束を取り付けた表向きの理由は、鉱山の視察と会議だ。

 だが真の目的は、ライネリカを案じてのことである。

 彼女の意識を奪い続けているシガリアが、ここ一ヶ月ほど、今まで以上に部屋へ閉じこもっているのだ。

 生命活動の為に必要な事があれば姿を見せるが、エイロス国王夫妻やラインギルの傍には近寄ろうとしない。特にラインギルが話しかけ無理やり近づこうものなら、半狂乱になって手当たり次第に物を投げつける始末だ。

 それはヒステリックさよりも、同情を感じる悲痛さで、使用人達は皆、口を噤んでしまう。

 確信ではないが、シガリアの体液を長年摂取し続けていたエイロス国民は、シガリアの存在を受け入れるよう、脳神経に由来する組織が形成されているのだろう。

 止めに入らないのも、庇い立てしないのも、シガリアが慟哭する理由を心で理解しているからなのではないかと、フィーガスは考えていた。

  真っ赤に頬を腫らして泣く女は、必ず愛した男の名前を呼ぶ。


 どうしてなの、エイロス。どうしてわたしを、愛してくれないの、と。


 フィーガスは視線を下げて、軽く蹄を打ち鳴らした。

 シガリアの状態と向き合う度に、自己嫌悪に打ちのめされる。

 何も知らずに、のうのうと彼女から与えられる親愛を甘受していたと、思い知らされた。

 シガリアは初めから何一つ、兄弟王の知らない女だったことを突きつけられる。

 沈黙したフィーガスに、リンドウも眉を下げて、両手の指先を腹の前で組んだ。


「……もうすぐ、姫様の生誕祭、なんです。……どうかそれまでに、僕らの元に帰ってきてほしいと、思っています」


 涙で揺れる瞳を見つめ返し、フィーガスは息をのむ。そうか、と返答をしたかった喉は震えて、惨めな悲しさが食道から胃液を迫り上げる。

 フィーガスがエイロス国に来てから、ずっとシガリアの内側にいる婚約者に呼びかけ続けている。なんの反応がなくとも、フィーガスに名を呼び返す声が届かなくとも。絶対に戻す事を誓って、己の中にいる感情から目を背けてきた。

 出会ってから、もうすぐ一年。

 一つ年齢を重ねる、フィーガスの美しい婚約者。

 彼女に何も伝えられなくなってから、今は──……?

 

「フィーガス閣下。……僕らも閣下と同じく、姫様のお帰りを信じています。閣下と同じく苦しみ、共に闘います。……あの子が生まれた事を、心から祝福してあげたいから」


 無理やり口角を上げ、泣きながらリンドウが笑ったその刹那。

 咆哮のような地響きと共に、大きな衝撃が地面を突き上げた。


 


 


 

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