第百十四話
遠雷が微かに空気を震わせる。鼻先に届いた土の香りは、雨の訪れを予感させた。
リュグザは来賓と国民に一礼し、芝居がかった動作で片手を上げる。
「──今日この時に、お集まり頂いた皆様へ感謝申し上げます。ここにいるのは我らが王者、ヘイデン・イユルカ・シスボイリーを亡き者にした咎人です」
周囲は異様なほど、しん、と鎮まり返っていた。
それほど声を張らずとも、固唾を飲んで見守る群衆には、一言一句漏らさず伝わっていくようである。
「今から行うのは、この男の公開処刑。この私が、時期王であるリュグザ・アイネ・シスボイリーが、最初の公務として執り行います」
シスボイリー国民が己に向ける眼差しは、罪人に対し処罰を望む者だけではない。
ジャダルはライネリカが関わらなければ、良い為政者だったのは事実だ。最終目的が違うリュグザよりよほど、民の為に働いていた事だろう。亡きシスボイリー王は適性を見抜いていたので、第三皇子の恩恵にあやかっていた業者は少なくない。
生前、父王はリュグザに、ジャダルを側近に置いて統治せよと話した事があった。
国王という重荷に対する付加価値が乏しいだけで、第三皇子は優秀であると。
それが正しく伝わらなかったからこそ、老いた王は殺されたのだが。人間というのは面倒で愛おしい生き物だと、リュグザは内心、感心したものだ。
リュグザにとってシスボイリー国は、長年探し続けた養母を殺すための土台であり、我らが女神の安寧を護るために整備した、それだけの要塞である。
彼女と弟は、いずれ庇護の手を離れて歩いていく。
リュグザがこの場を設けたのは、その礎を確固たるものにする為だ。
命と等しく大切な、弟とその婚約者である女神を、安心して送り出すための通過儀礼なのである。
リュグザは袖のカフスを外し、胸元にある留め具を解いて上着を脱ぎ捨てる。装飾品によって重力を感じる軌道を描き、どさりと地面に落とされた。
来賓の一部が短い悲鳴を上げる。誰かが気を失い倒れる音すらした。
顔を背けるものはいても、逃げ出さない気概は買うべきなのだろう。リュグザは横目にジャダルを一瞥した。
地べたに座り、磔刑の如く縄で縛られたジャダルが、徐々に憤怒をあらわにする。
鬼のような険しい形相ながらも、声を発することは叶わない。彼は口を開閉させ大きく体を揺さぶった。捲し立てるはずの声は喉で封じられ、荒い呼吸音だけが不快に聴覚をざらつかせる。
キリノスの糸によって声を封じたのは、せめてもの慈悲だ。王族として最も屈辱的な死に方をする彼の、リュグザが許容した最大限の譲歩である。
細めた目で様子を眺めた後、来賓へ振り返り静かに見下ろした。
「……私を王座から引き摺り下ろそうと言うのなら、上がって来なさい。いくらでも相手になりましょう。だが、その度胸がないなら、……私の道を遮るものなら、今後、誰であろうと容赦しないことを、しかと見ているといい」
青い顔で唇を戦慄かせるのは、第三皇子に近しい勢力の国家や、シスボイリー国の重鎮たちだ。
しかし誰も言葉を発しないのはひとえに、今から行われる公開処刑の内容を理解しているからである。
シスボイリー国が自国で大罪人を捌く時、一般的には投獄による衰弱死か、弾頭台を用いて首を刎ねる事が多い。だが、裁きの内容が明確にされているわけではなく、必要に応じて別の手段も取られてきた。
武力によって統制されるシスボイリー国は、決して倫理的とは言えない。特に現宮殿は属国の子息子女のみならず、民草からも血を取り入れているので、尚更、多くの悪意が蔓延っている。
それでも名目上、罪人には一定の尊厳を尊重され、公開処刑であってもこうやって群衆をかき集めて行うことは少なかった。
リュグザが行おうとしているのは、最も忌み嫌われる処刑のやり方なのである。
誰も口を挟めないのは、明日は我が身だと恐れているからだ。
ベストを脱いで再び放り投げ、シャツの袖を捲ってバンドで留め、スラックスのポケットに押し込んでいた革手袋を取り出す。
「…………ようやくだ」
己の手の大きさに併せて作ったそれは、よく鞣してあり皮膚に馴染んだ。
何度も開いては閉じてを繰り返す片手を、軽く振って空気を揺らす。
淀んだ空気を裂くように、雨粒が石段を濡らし始めた。
雨の勢いは弱いながらも、確実に乾いた大地に染み込んでいく。
「ようやくだ、ジャダル。お前の目が我が君を追うたびに、何度目を潰してやろうと思ったか。お前のような下衆が我が君を呼ぶたびに、何度その喉を裂いてやろうと思ったか」
目を見開くジャダルの前に立ち、リュグザは息を吸い込んだ後、鬱蒼と笑った。
金目は異様なほど輝き、雲に隠された太陽を背にする影の中でも、目に焼き付くほどの光彩を放つ。
リュグザは男の胸元を掴み上げると、喜びを隠しもしない陰惨な笑みで、大きく片手を振りかぶった。
「ようやくだ。待ち侘びた。お前を殺せるこの瞬間を……!!」
シスボイリー国でも忌み嫌われる処刑方、──撲殺。
それは武力国家における、ただ純粋な暴力による殺害だった。




