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第百十三話




 生命活動を維持しているだけのシガリアは、自身の体が眠る鉱山を、日がな一日眺めているという。

 数ヶ月もこの状態が続いているのだ。バラを通してライネリカを慕っていた使用人たちも、流石に焦りや不安、この状況を引き起こしたエイロス国王夫妻に、不信感を募らせ始めている。

 渋面を作るラインギルを見つめ、リュグザは片手で隠した下で、自嘲混じりに口角を歪ませた。

 主君の事を思わなかった日はない。いつでも吉報を待ち続けている。それでもエイロス国の内情は、ラインギルが指揮する上で追い風になっている事は確かだ。

 エイロス国王夫妻から民が離れれば、おのずと拠り所はラインギルへ移っていく。良い、と肯定してしまうと些か罰当たりだが、悪い傾向ではなかった。


「……ライネリカ第二王女殿下の容体は、なんとも申し上げられない。フィーガス閣下が傍についているようですが……」

「はい。本当に、辛抱強く呼びかけてくれています」


 エイロス国に滞在しているフィーガスは、一日の大半をシガリアと過ごし、彼女の中に奪われたライネリカを呼び続けている。

 初めは疎ましそうにしていたシガリアも、今はむしろ何の反応もなくなり、ただ光のない双眸で白馬を見つめているのだという。

 痛ましげに口を閉ざすラインギルは、息を吐いて視線を逸らした。


「……初めてフィーガス閣下に謁見した時、俺はあの方を、ライネリカの全てを奪っていく侵略者だと糾弾しました」


 不意に、エイロスの第一王子が呟く。

 片方の眉を上げて沈黙を返したリュグザに、彼は眉を下げたまま声を震わせた。


「浅はかな考えでした。俺も、やり方が違うだけで目的は同じだと言うのに。……今は閣下の尽力に、救われています。……俺の出来うる限りの協力を惜しみません。その為に父より全権を掌握できるよう、俺はこの場に来たのですから」


 両手の指先を軽く組み、口元に当てて目蓋を閉じたラインギルに、リュグザは何も言わなかった。

 弟であるという贔屓目だが、彼は心を許す相手には相応の愛情を返す男だ。そう思う反面、妹を案じるラインギルの心情も理解できる。

 彼はずっと孤独に耐え、エイロス国で一人、ライネリカの為に戦ってきた人だ。

 全てを攫っていこうとする異国の王に、何も思うなと言う方が無理な話だろう。  

 その時、扉が叩かれ、廊下で待機していた衛兵の声が聞こえた。どうやら舞台が整ったらしい。

 リュグザが立ち上がると、ラインギルも遅れて立ち上がった。

 シスボイリー王の葬儀は昨夜、滞りなく終わっている。この後にあるのは、リュグザの正式な戴冠式まで()()だ。

 大国王が不在の今、冠を授与するのは皇后──ジャダルの母親である。

 勢力としてリュグザと敵対する母親が、余計な手出しを考えぬよう。最後の一手を与える舞台だった。

 葬儀を取り仕切っていたリュグザは、そのまま属国の使者たちをまだ宮殿に留まらせている。ラインギルがこの場にいるのもその為だ。


「ラインギル殿下。貴殿は無理に見に来ずとも大丈夫です。見目の良いものではありませんから」

「…………いいえ。ライネリカとラジレイシアの兄として、行かぬわけにはいきません」


 青褪めてはいるが、表情からは確かな覚悟を窺わせる。

 リュグザは肩をすくめ、衛兵にラインギルの護衛を命じた。ここから先、リュグザが向かう場所は他国の人間が立ち入れない。

 頭を下げて見送ってくれる第一王子と別れ、別の衛兵と共に廊下に出れば、長い廊下の先に佇むアスターの姿が見えた。

 黒く細身のドレスに身を包み、同じく喪服を着るラジレイシアと共にこちらを見つめる。靴音を響かせながら近寄れば、アスターは恍惚にも感じさせる笑みを浮かべて、リュグザの胸にしなだれかかった。


「ふふ、この日を待っていたの。ね、リュグザさま。あたし、ちゃんと我慢したのよ?」

「分かっていますよ、アスタロイズ。お前はよく辛抱しました」

「そうでしょ? もっと褒めて。よく出来たって撫でて。……あの男を殺さなかったこと、ね、リュグザさま」

 

 頬を染めてすらいる彼女の言葉だが、途端に空気がひりついて、後方で様子を窺っていた衛兵がたじろいだ。その反応にアスターの紅色の瞳が向いたかと思えば、衛兵は声を引き攣らせて頭を下げ、慌ててその場を離れていく。

 彼女の隣にいるラジレイシアが、小さく咳払いした。アスターはリュグザの唇を啄んでから体を起こし、すぐに彼女の半歩後ろに控える。

 リュグザが恭しく頭を下げれば、元エイロスの姫は同じく膝を折った。

 

「先ほど、ラインギル第一王子殿下と打ち合わせを。後ほど、共有いたします」

「ありがとうございますわ。兄上さまはあたくしの事は何と?」

「貴殿が無事であればそれで良いと」

「まぁまぁ……兄上さまも大概、あたくしたちには甘いですわね」


 薄く笑みを浮かべるラジレイシアは、アスターよりかは緊張を帯びている。

 リュグザはアスターとラジレイシアを連れて、再び歩き出す。

 途中、客人の後方で仕事を終えたキリノスにラジレイシアを預け、アスターと二人、目的の場所へ辿り着いた。

 次第に囁き声が聞こえてくるのは、中庭からだ。アーチ状に連なるレンガより外を見れば、暗雲が覆い薄暗い空の下、多くの人間が集まっている。


「……ここまで来たわね、リュグザさま」

「…………いいえ、ここからですよ」


 アスターの呟きにリュグザは苦く笑って、妻を腕から離した。

 他国の貴族や王族が多数集まる前を横切り、悠々とした足取りで、宮殿の内壁を登るために整備された石の階段を上っていく。

 本来は敵勢に対する監視台として、外壁の一部を広く整備したところだ。宮殿内で一番広い中庭も、豊かに繁栄するシスボイリー国の王都も、ここに登れば一望できる。

 階段を登りきった先で、リュグザは立ち止まる。

 口から泡を溢し縄で縛られたジャダルと、目下には多くのシスボイリー国民がリュグザを見上げていた。

 

 

 


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