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第百十一話




 今後の予定を二人で確認した後、ラインギルは宰相から公務に呼ばれて席を立った。

 身の安全のために、フィーガスが遣わした白装束が彼を警備するらしい。今は大人しくしているとはいえ、シガリアの魂はライネリカに乗り移っている。いつ何時(なんどき)、鉱山に異変が起こるか分からないのだ。

 ラインギルと共に音もなく出ていく二体を、バラは横目に見送って扉を閉めた。

 室内に向き直れば、フィーガスが険しい表情でローテーブルを睨んでいる。

 浮遊するように動き回る白装束たちが、ティーセットを片付けるのを、バラは興味深く眺めていた。

 暫く無言であった彼は、改めてバラに視線を向ける。


「……バラ殿も、ライネリカの両親……母親、なのだな」


 肯定の為に目蓋を伏せて顎を引けば、フィーガスは眉間の皺を深めて息を吸い込んだ。膝が震えるのを叱咤するかのごとく両膝に手を当て、深く頭を下げる。


「…………この度は大切な子女殿を守れず、不甲斐ない婚約者で、本当にすまない」

「…………」


 いいえ、とバラは首を左右に振った。

 異国の王に頭を下げさせている罪悪感はあれど、バラはあえてフィーガスの行動を遮らず、腹の前で両手を組み姿勢を正す。

 ラインギルがエイロス国王夫妻に対し激昂していたが、ライネリカの容体があれだけで済んだのは、フィーガスが命懸けで力を行使してくれたからだ。

 彼が空間を捻じ曲げて飛んだと言う反動は、凄まじいものだった。

 ライネリカが意識を失った部屋の惨状は、饒舌に尽くし難い。

 フィーガスの内臓を傷つけた残骸が、血飛沫となって至る所を汚していたのを、バラはこの目で確認している。おそらくフィーガスでなければ、移動しただけで死んでいたと言っても過言ではない。

 それでもバラは、彼の決死の行動を理解していながらも、ライネリカの母として全てを許せなかった。

 ──否、許せないとする行為で、自己弁護しているに過ぎないのだろう。 

 バラは片手を己の喉に当て、眉間に皺を寄せる。呼吸が乱れて喉を震わすだけで、引き攣った痛みが心ごと蝕んでいく。

 リンドウと晩餐会場を見回っていた時、目の前で走り出したライネリカを、バラはやはり呼ぶ事ができなかった。

 事故で傷ついた声帯は今も治らず、声を発すれば激しい痛みが己を襲う。

 皆がそれを理解し、筆談での会話を快く承諾してくれる。夫のバラに対する読唇術は特に秀でていて、夫婦間の愛情表現に常人との差異はない。

 好意に感謝し、自らの能力で出来得る限り、国の為に尽くしてきた。

 夫との間に授かった、ライネリカ(たからもの)を愛して生きていた。

 だが、肝心な時に声が出せない歯痒さを噛み締めると同時に、バラは思う。


 なぜ、治らないのだろう。


 バラはライネリカの『騎士』だ。

 即死だったアスターが息を吹き返したと言うのなら、自身の喉はなぜ治らないのだろうか。

 なぜ命と等しく大切な愛娘の力で、治ってくれないのだろうか。

 喉を押さえたまま消沈するバラを、フィーガスが暫く見つめていた。そしておもむろに呼びかける。


「バラ殿、こちらへ来てくれないか」


 ハッと気がつき、一礼してから静かに歩み寄った。

 数歩の距離で立ち止まると、彼は僅かに何事か考える素振りを見せた。そして上着の内ポケットから、小さな袋を取り出す。

 手の平に中身を出すと、それは透明なシガリア鉱物の欠片だった。


「これは、ラヒューレ殿下が所持していたものだ。リュグザが回収した。……第二王子が鉱山で採取した物の、最後の欠片だろう」

「…………」

「これをバラ殿に預けたい」


 片眉を上げて返答に窮する。

 フィーガス曰く、シガリア鉱物はそもそも、使用者の能力を拡張する為に使用されると言う。

 バラが預かっている理由がなく、戸惑った視線を白馬へ向けた。


「ライネリカの『騎士』の身体構造は、比較的、僕らに近しい。もしかしたら、君なら使用する機会が訪れるかもしれない」


 フィーガスの瞳に、バラを揶揄う意図は感じられない。

 数拍、逡巡した後、バラはその場に両膝をついて、両手を掲げて小袋ごと鉱物を受け取った。

 ほとんど重さも感じないほど小さな鉱物だ。しかし、無色透明で氷のように美しい。


「……そのままでは、取り立てて危険のない物質だが……君が経験したように、そもそも人体には有害なものだ。……だが、君なら正しく使用できると僕は思っている」


 視線を上げた先でフィーガスが、やはり何かを耐えるような表情でバラを見ていた。押し込んだ息は細かく震え、そんな己を見せまいと唇を引き結ぶ。

 怯えにも似て、悲しみにも似て。祈りすら感じさせる言葉の揺らめきだった。

 エイロス国の城内という、同じ空間にいるシガリアへの失望、怒り、懺悔、後悔。養母への愛と憎しみが、事情を良く知らないバラに対しても、空気を通して伝わってくる。

 その内側にあるは、確かにライネリカへの深い愛情なのだろう。

 フィーガスの決心を肯定し、バラは双眸を細めて大きく頷く。やや躊躇ったものの、鉱物を小袋に戻して侍女服のポケットに仕舞うと、立ち上がりながら両腕を伸ばした。

 ソファーに座るフィーガスの頭を抱え、優しく後頭部を撫でる。


「ば、バラ殿?」

 

 面食らった声を発しながら両手を彷徨わせるが、フィーガスの呼吸音は次第に震えを大きくしていった。

 年齢という意味では、フィーガスの方がバラよりよほど年上だ。それでも今の彼は気丈に振る舞おうとしているだけの、青年にしか見えないのだ。


「…………ぁい、じ、ぉうぶ、よ」


 大丈夫よ、あの子は、必ず貴方の隣に戻ってくる。


 上手く話せない己では、伝えたい意味の半分も言葉に出来ないかもしれない。

 それでもいいと、バラは目蓋を閉じた。

 バラの服を弱く掴んだフィーガスが、耐えきれず嗚咽を漏らす音が室内に木霊する。

 噛み締めた唇が緩んで、寂しさが産声を上げて、宝物のように慈しんでライネリカを呼び続ける。

 我が子はこんなにも、一人の異性から望まれている。

 婚約者二人の間へ確かに灯った、誰も汚せはしない感情なのだろう。  


 


 

 

 

 




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