第百九話
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目の前で割れたティーカップを静かに見つめ、バラは目を細めた。
季節がら薪を焚べていない暖炉の前で、エイロス国第一王子ラインギルが、射殺さんばかりに両親を睨んでいる。
ソファーに腰を下ろし沈黙するエイロス国王夫妻の顔色は、すこぶる悪い。だが、バラは擁護できる立場もなく、青ざめる使用人たちと共に、壁際で静かに佇んでいた。
「っどうして、そんな事になっているのです!? フィーガス閣下が命懸けでライネリカを守って下さらなかったら、いったいあの子はどうなっていたか!!」
ラインギルの怒鳴り声に、王妃が小さく肩を跳ねさせる。
エイロス国第三皇子の息子の祝賀会は、もはや原形を留めないほど無惨な結果で幕を閉じた。
エイロス国一行をこれ以上シスボイリーの失態に巻き込みたくないと、大国王が軍馬を提供してくれ帰国を急がせた。予定は大層狂ってしまったが、帰国に関しては当初の予定より早い日取りである。
そうして、リュグザ第十二皇子が飛ばした早馬で事情を把握したラインギルは、憤怒の形相で両親を出迎えたのだった。
未だシガリアより意識を奪われたライネリカは、終始ぼんやりとしていて、今も部屋に閉じこもっている。
使用人の呼びかけにも最低限しか答えず、生命活動は維持しているものの、言ってしまえばそれだけのような状態だった。
ラインギルの動揺と後悔、その怒りは察するに余りある。
彼は両親の、弁明しない姿勢にすら腹を立て、目を細めて奥歯を噛み締めた。
「…………父上。俺に王位をお譲りください」
「なん……と、ラインギル、だが」
「今この状況で、大国シスボイリーと我々が渡り合えるとお思いで? 父上、大国王はそんなに甘い為政者ではありません。父上とラヒューレがジャダル第三皇子殿下と共謀したことで、シスボイリー王は不利益を被ったのですよ。いくらライネリカやラジレイシアが被害にあったからと言って、本当に何もないと言い切れますか?」
シスボイリー国は武力の国だ。
エイロス国の騎士が、世界でも有数の実力者集団だとしても、所詮は少数精鋭。もし大国に本気で攻め入られでもすれば、エイロス国は塵も残さず敗北する。
「シガリア鉱物があるから平気だと、本気で思っているのですか? 我々が国の状態を保っていられたのも、リュグザ殿下の温情があるからなのですよ。彼がライネリカを気に入っているから、エイロス国は植民地にならないだけなのです」
大国は属国契約を結んだ当初から、いかようにもエイロスを植民地化し、シガリア鉱物を独占できる立場にあった。
それを行わなかったのはひとえに、リュグザの恩恵である。
その信頼を裏切ったのだと、ラインギルは吐き捨てた。
エイロス国王は顔色悪く沈黙し、しかし答えを渋っている様子ではなく、王妃に顔を向ける。
王妃は涙の溜まる目尻を指先で拭い、嘆息してラインギルを見上げた。
「……私も、ラインギルに賛成です」
「母上……!」
「王とはここへくる道中、しかと話し合いました。……ただ、ライネリカがこの状況で、王が変わって良いものか……そこだけは気がかりです」
何かが違うと言葉にできずとも、エイロス国王夫妻はライネリカが別人であることを、薄々勘付いている様子だった。
ライネリカの状態は皆が皆、対処できずにいる。ラインギルも末姫について思うところもあるのだろう。王妃の発言は否定できずに眉を寄せて口を閉ざし、では、とやや声音を和らげた。
「すぐに王位を譲って頂かなくとも、俺にエイロス国の決定権をお与えください。父上が帰還する少し前に、リュグザ殿下より早馬があり、シスボイリー国内での騒動が落ち着いたらエイロスに参られると連絡がありました」
「リュグザ殿下が、この国に?」
「はい。そこで行われる全ての交渉権、決定権を、俺にください父上」
怒りを滲ませながら真っ直ぐ父を見据える双眸は、苛烈さと悲しみが混ざり合っている。
エイロス国王夫妻なりに大事に育ててきた子供たちは、皆がバラバラとなってしまった。その一端が自分たちの行動にあるのだから、否とは言えないだろう。
数秒の沈黙の後、エイロス国王はゆっくりと頷いた。
ラインギルは使用人の一人に命じ、誓約書を用意させエイロス国王に署名を促した。
性急さは否めないが、シガリアの動向が不安定である以上、あまり猶予は残されていない。国母シガリアが目覚め動き出すまで、もう幾許もないのかもしれないのだ。
エイロス国民の大移動が必要になる今、国内で先頭に立てるのはラインギル第一王子だけなのだ。
「……バラ、行こう」
項垂れる国王を一瞥もすることなく、バラの側でラインギルは立ち止まった。
彼女は一礼し扉を開けて第一王子を先に歩かせると、自らも廊下に出つつ静かに扉を閉めてから、彼の後ろに付き従う。
ラインギルは前を向いたまま、体の横で握りしめる拳に力を込めた。
「……すまない。君には本当に、苦労をかけている」
「…………」
「王家の問題だ。本当なら君は、……君とリンドウは、なんの関係もないはずなのに」
まるで血を吐くに似た懺悔に、聞こえる。
バラは無表情を貫きながら小さく首を振り、立ち止まったラインギルの前に数歩進み出ると、目的の扉を数回叩いた。
微かな返答を聴覚に捉えた事を合図に、慎重に引き開ける。
視線の先では翼をたたんだ白馬が、掃き出し窓から鉱山を眺めていた。




