第百五話
「話が違うじゃない!!」
金切り声が上がり、ケーキや菓子類がのった皿が、膝がぶつかる衝撃でひっくり返る。
真新しい白いテーブルクロスは無惨に汚れ、そんなものを構っている余裕がなく、立ち上がったどこかの国の王女が泣き叫んだ。
「痛い、痛いわ、イヤよ、痛い、違うでしょ、冗談じゃないッ! 誰か水を持ってきて、お願い早く!!」
「お、落ち着いてちょうだい、何事で」
「第三皇子妃殿下! 話が違うじゃない、こちらは安全だという話ではなかったの!?」
彼女の他にも、別の令嬢が立ち上がり、しかし腹痛が堪えるのかその場にうずくまる。
騒ぎに大国の侍女や執事が、慌てて四阿を取り囲み、衛兵たちを呼びに行った。
第三皇子妃が宥めようとするが、相手の王女は錯乱し取り乱している。だがそれもやがて呻き声に変わり、彼女は耐えきれず意識を失った。
悲鳴は更に混乱を招き、それまで唖然としていた他の令嬢たちも、次々に体調不良を訴え始める。
すぐに医者を、という第三皇子妃の指示は、ヒステリックな糾弾に掻き消された。
「嘘をついたのですね、私たちを謀ったのですか!?」
「ち、違うわ、本当に約束の通りに」
「なら、この痛みは何なの!? どうしてアタシをこんな目に!」
隣の四阿で始まった阿鼻叫喚の惨状に、ラジレイシアは澄ました顔で紅茶を一口飲むと、ゆっくりカップをソーサーに戻す。
同じ卓を囲む同志たちから向けられた視線に、優雅に微笑んで扇子を緩く開いた。
「申しましたでしょう? 我らの勝利を」
美しい微笑みの裏に潜む何かに、周囲の彼女たちは息をのむ。
騒然となる庭園の片隅で、ラジレイシアと同じテーブルを囲む彼女たちは、ただ静かに、己の身の安全を噛み締めていた。
シスボイリーの衛兵たちによって収束したガーデンパーティーは、見るも無惨なものだった。
弱小国がどのように踊るのか、高みの見物を決め込んでいた権威の王女、令嬢たちは、殆どが退場を余儀なくされている。
腹痛を訴え倒れる者、高熱を出し意識を失う者。第三皇子妃の誘いに乗っただけだと泣く者。妃の裏切りに怒る者。
第三皇子妃が矢面に立ったおかげで、弱小国のテーブルについていた者へ、疑いの目を向ける人間はいない。何より、こちらのテーブルにはラジレイシアがいる。それだけで要らぬ詮索への、抑止力となっていた。
シスボイリー王の怒りは、押して知るべしである。
第三皇子妃側に加担した国は、自国の姫の統率もできないのかと叱咤し、第三皇子妃の生家も謁見の間に呼び出された。
ラジレイシアは廊下を歩きながら、慌ただしく行き交う大国の侍従たちを横目に、小さく息をつく。
互いに腕を組み歩いていたアスターが、扇で口元を隠しつつ囁いた。
「大事なく何よりでございます」
「あなたのおかげですわ、アスター。危ない橋を渡らせましたわね」
ラジレイシアがバラが命じ、アスターを呼びに行かせたことは、優位な立場を確保する為に必要だった。
だが、表立ってアスターが来た直後に何事か起こっては、彼女に疑いの目が向けられてしまう。その意図を汲んだバラと共にアスターが控えていたのは、ガーデンパーティを行っていた四阿よりかなり離れた場所だった。
ライネリカの『騎士』は身体能力の向上によって、常人より五感が優れている。それでも途中、ラジレイシアの聴覚が彼女の声を捉えた場所は、正確な指示を受け取れるか際どい位置だった。
言外に労れば、アスターは笑みを深めて片手を己の胸元につける。
「ラジーさまのご指示を、私が間違えるとお思いで?」
大した自信だと苦笑するが、それが全てだ。
アスターが行ったのは、小さな針を食事に混入させることである。
彼女の能力によって自在に操れるそれを、人体に深い傷がつかない程度に飲み込ませ、すぐに消えさせたのだ。
口腔に痛みを感じ、場合によっては多少の出血もある。温室育ちの王女、令嬢たちには、それだけで気が動転したことだろう。証拠も残らないので、彼女たちは本当に毒を飲み込んだと錯覚し、後は勝手に仲間割れをして終わりである。
ここまで目論見通り行くとは思わなかったが、これなら面倒事に巻き込まれることなく、早々に帰国できるだろう。
ラジレイシアはすぐに疲労を滲ませると、廊下の隅で立ち止まった。
同じく立ち止まったアスターが、緩やかに目を瞬かせる。
「……ごめんなさいね、アスター」
ポツリとした呟きは、思っていたよりも弱い。息をのむアスターがそっと腕を放し、周囲に人の気配がないのを確認してから、ラジレイシアの前に片膝をついた。
片手を差し出せば彼女は、流れるように自然な動作で指先に唇を寄せる。
「ラジレイシアさま。私に謝罪など不要です。あなたの意思決定を覆そうとしたのは、私の有責にございます」
「いいえ、あなたが怒るのは、もっともですわ。……あの女は、あたくしのネリカではない。……それをあのガーデンパーティーで、嫌と言うほど突きつけられましたの」
普段のハツラツとした雰囲気を潜め、ラジレイシアは眉を寄せて唇を噛み締める。
ライネリカが生まれた時から、ラジレイシアの心の全てであった、誰よりも大切な主君。
隣で笑う同じ顔が、ライネリカでないと言うだけで、自身の心はこんなにも揺れるのだ。




