★★第40話 ある養女の主治医
遠い記憶の向こうから覚えのある匂いが、深夜に自分を覚醒させた。
火事だ。
室内じゃない。
窓の外を見ても自分の部屋からは城壁の篝火が見えるだけ。
扉を開けて外を見回すが、何かが燃える匂いが漂いどこかで誰かが騒いでいる音は聞こえるが判然としない。
不吉な予感に階段を駆け上る。
自分の部屋は2階。ハンネは1階、イルンの主治医として出来るだけ近い部屋を貰っていた。
イルンの奴は膝が悪いので出来るだけ低い階層の方が良かったのだが、さすがに使用人達と同じ階層というわけにはいかなかった。
2階にもあいつの部屋はあるが、寝室は3階だ。
3階に上ると不吉な予感は的中し、賊が3人イルンの寝室に侵入していた。
隣に部屋を貰っていたオルプタさんが賊と対峙して後ろにイルンを庇っている。
オルプタ達がこちらに視線を向けたのを見て、賊どもがこちらを振り返る。
一番後ろにいた魔術師らしき奴が杖を振りかざそうとする。
確か・・・喉を潰しても杖を取り上げても縛っても魔術師は無力化できないんだったな。目が見えなても魔術は行使できるとかあの爺が言ってた。
生かして捕らえるべきなんだろうが、手加減は出来ない。
魔術師が何かする前に、頭を鷲掴みにして壁に叩きつける。
頭蓋骨が砕け脳漿が飛び散る嫌な感覚が伝わってきた。
右手に掴んだ頭をそのまま壁に向かって圧し潰しながら、回転しつつ左手の裏拳で別の賊の顎を打って気絶させる。
残りの一人はオルプタさんが、魔術で喉を切り裂いて始末した。
喉を切り裂かれた賊は倒れ伏して血を盛大に吹き出してイルンの寝室を汚す。
救いを求めるように手を伸ばしてくるが、もう致命傷だ。
頭を踏みつぶして止めを刺してやった。
イルンがはっと目を逸らすが、暗いのではっきり見えちゃいないだろう。
前はカエルを平気で串刺しにしてたのに、最近すっかりお姫様っぽくなりがった。
だが、今度はお姫様よろしく攫わせたりはしない。
「無事か、イルン?」
声をかけたが、イルンの奴はこっちよりも森の事が気になっていたようだ。
「森が…森が燃えちゃう…!」
3階からだとなるほど、森が燃えている様子が少し見えた。
イルンの奴はバルコニーに駆けだして、そのまま止まる事無く外へと飛び出していった。
「こら、待て!」
呼び止めても振り向きもせずそのまま飛んで行った、文字通り。
誰だ、あいつに魔術なんか教えやがったのは!
普通の家屋の3階と違って防御用の要塞であるこの城の塔の3階は高い。
城壁と同じくらいの高さがあって、あたしでも飛び降りるわけにはいかない。
「オルプタさん、あいつを追ってくれ!」
「わかりました…が周囲のマナが先ほどの戦いとイルンスール様の飛行術で減っていてすぐには飛べるほどありません」
畜生!
階段を下りて追いかけようとしたところで登ってきたハンネと鉢合わせになった。
「先生、お嬢様は!?」
「森の方へ飛んで行った、降りて城の裏へ向かうぞ」
ハンネもすぐに踵を返して城の裏手へ回っていったが、番兵がどうしても小門を開けてくれない。
まあこの状況では城を開けられるわけないか…。
「私が追います!城内でも火の手が上がっています、貴女方は消火作業を!!」
城壁上に飛び上がったオルプタさんがこちらに声をかけてきた。
「私達も通すように言ってください!」
ハンネが叫ぶがオルプタさんは耳を貸さずに一人でイルンの後を追っていった。
ハンネは実力行使も辞さない覚悟だったが、この状況で番兵に危害を加えるとイルンにも後で迷惑がかかる。
力ずくでハンネを抑え込んで、城内に戻って消火作業を手伝った。
万が一の籠城用に水瓶にたくさん水を貯めていたので朝までかかったが、どうにか城全体が炎上することは避けられた。
イルンの奴を守る誓いをしていたアルミニウスは、残念だが女性専用である東の塔での居住を許されておらず遅れてやってきた為、この夜役には立たなかった。
これは彼のせいじゃない。
だが、朝になってもイルンは戻らず、やきもきしているあたし達が城外に探しに行くことを許されたのは前日攫われていたアルベルドの奴が戻って来て番兵に話を通したからだった。
城外に出て研究棟を通り過ぎて森に到達した時、オルプタさんとシセルギーテとかいう女騎士の魔術で消火作業が行われてあちこち水たまりが出来ていた。
森はかなりの部分が焼けてしまっていて、焦げた匂いが漂う。
奥に行くほど、まだ完全に消化できていないのか燻っている火が増えて煙も濃くなってきた。
いつ再燃してもおかしくない。
そんな中でイルンの奴はもと森の中の広場でぺたんと座り込んでいた。
妖精の社交場だ。
以前オルステンド男爵領からギィエッヒンゲンに向かう途中の森でもあった。
時々森の中には自然に開けた土地がある。
こういう場所を東方圏の住人は妖精の社交場なんて名前で呼んでいる。
妖精たちが宴会を開く場所だの、妖精が住む異界への入り口だのとかいろんな民話があるらしい。あたしは詳しくないが、民話好きのイルンがそんなことを言っていた。
森の奥ほど酷い事になっていたが、イルンはここにいたから無事だったんだろうか。
「先生…燃えちゃった…燃えちゃったよ…わたしの大事にしてた森が…」
こちらに気づいたイルンが振り返って泣きそうな顔で呟いた。
酷くしょぼくれていて、縮んでしまったように見える。
「帰ろう、イルン。まだまだ火種が残ってる。どこに賊が潜んでいるかもわからないしここは危ない」
「待って…森の奥の泉まで行きたい。あの白蜘蛛さんとか神殿を確認しなきゃ…」
あたしもアルミニウスも反対したが、イルンはどうしてもいう事を聞かずにずんずん歩き始めてしまい、強引に引きずって連れ戻す事も出来なかったので仕方なく辺りを警戒しながらついていった。
聖なる森…オルタ・エイペーナの森と呼ばれる最奥聖域は近隣の住民も近づかない白蜘蛛の領地だった。
辿り着いた時、そこは真っ白な繭に覆われていた。
あの白蜘蛛の糸か。
「開けて、開けてよ!開けてったら!!」
イルンの奴がどんどんと繭を叩いても聖域は開かず、白蜘蛛の姿も無かった。
なんとなく白蜘蛛はその中にいて聖域を守っているんだろうとあたしたちに予感させた。
声を枯らして叫ぶイルンもいつしか力尽きてまた座りこんだ。
「なんだ…お前も締め出されちゃったの…?」
イルンが地べたを見て何やら呟いている。
あたしの目にはそこには何も見えない、ただ焦げた木が転がっているだけ。
時折今までも虚空に向かって呟いて祈りを捧げてたりすることはあったが、地面に向かって呟くのは珍しい。
普通なら妖精さんでも見えているのか、気でも狂ったかという感じだが、あたしやアルミニウスはこいつが起こした奇跡を体験している。
ま、何か見えていてもおかしくない。
東方圏の住人としては親しみのあるお伽噺で登場する木霊でも住んでいそうな森だったからな。
「…どうして燃えちゃったのかな、どうして雨降らなかったのかな…今まで何度もうまくいったのに…。ねぇ?誰が、何で燃やしたのかな?」
「そりゃ、伯爵の差し金に決まっているだろう」
「アルベルド…無事だったの?良かった」
いちおうエドヴァルドの息子らしく気張って城下の視察だのなんだのしていたアルベルドは、火災の状況でも見に来たのかこちらへもやって来てイルンの疑問に答えた。
「伯爵の差し金ってどういうこと?」
「自分の頭で考えろ馬鹿が」
クソガキめ。
捻りつぶしてやりたいが、・・・実際にやるとイルンに迷惑かかるからなあ。
クソガキのいう通り伯爵の差し金だろうが今のイルンは疲れ切っていて頭が回っていない。
もう少し優しく話せないのか。
最近イルンに付きまとってちらちら横顔を覗いてばかりの色ガキのくせに。
年頃の男の子ほどめんどくさいものは無いな。
「アルベルドのいじわる、あんたなんか嫌い。どっか行ってよ」
「・・・お前が出ていけ」
アルベルドに構うのも嫌なんだろう。イルンは泉に行くのを諦めて無言で立ち上がった。
「そうだ、出ていけ。二度と帰ってくるな。この国から出て行くんだ」
「…?」
いつも以上に厳しい言葉にイルンも訝しがる。
「お前がいると争いになる」
「エドヴァルド様と伯爵の戦争?そうだね、わたしのせいだね。だからこの森も燃やされたっていうんだ…そこまで何もかもわたしのせいなんだ・・・・・・」
ヨハンナほど詳しくあたしは教えて貰っちゃいないが、イルンは自分のせいで子供たちが死んだとか、誘拐されて連れ去られた後も自分のせいで親切な人が死んだとかなんとか昔言っていた。
ヨハンナは二度と誰にも言わないようにって約束させたらしい。
イルンは昔から影のある表情をしていた。なんとか頑張ってあたしたちには元気そうに振舞って見せたり、笑顔を向けてくれるが、どうしてもどこかに影が垣間見えていた。
そして先日アルミニウスが、イルンが救った筈の命を直後に殺害していたと告白した。
もう、これ以上こいつの心を抉るのは止めてくれ!
「アルベルド様、もう止めてください」
アルミニウスがクソガキを牽制してくれた。
アルベルドがつまらなさそうにアルミニウスを見やる。
「こいつを教育しておけといった筈だぞ。きっちり躾けておかないからこんな事くらいでこうも暗い顔をするようになるんだ。俺ははっきり言ってやる。将来俺とエーヴェリーンは殺し合いになる」
「は?突然何言ってるのアルベルド」
「わからないか・・・?そうだろうな今のお前には。エーヴェリーンはお前の行動に感化されたようでな、父上の後継ぎとして認められたいと言い始めた。そしてラリサに勤めていた貴族の子弟から親を説得させて何人かこちらに寝返りさせた。将来はエーヴェリーンの派閥となるだろうな」
最近オルプタさんがエーヴェリーンを教育し始めて、東方圏における女性の役割、権利拡大について何やら話していたのはそういうことだったらしい。
あたしには領主の継承権なんてよくわからないが、普通は男の子がいれば例え年下でもそっちを優先する筈だ。双子で同じ年齢ならエーヴェリーンには望みが無さそうに思える。
「だが、俺はエーヴェリーンに譲る気は全くない。もしエーヴェリーンが俺と対決してまで後継ぎを目指す気がなくても10年もすれば派閥の領主共は俺に暗殺者を送ってくるだろうよ。あっちもエーヴェリーン派閥だと周囲から認定されれば、主に関係なく自家の生き残りの為、俺を殺すしかない。そうすれば俺もエーヴェリーンを殺すしかない」
「…馬鹿じゃないの?双子の兄妹でしょ?そこまで貴方達仲悪くないでしょ?」
「俺自身がどう考えて居ようとエーヴェリーンが今のままでいれば時間が経つにつれて周囲は勝手に争い始める」
貴族はこれだから嫌だ。
「そしてな、御祖母様の事だ」
「まだあるの?スーリヤ様がなんだっていうの?泉には入れなくても、スーリヤ様のマナスはもう輝きを取り戻してる。ちゃんと治るよ。元通りにとはいかないかもしれないけど」
「…そうじゃない。御祖母様に危害を加えようとしたのは誰だと思う?一番利益を得たのは?もし御祖母様が回復したら復讐を恐れてまた毒を盛ってくるんじゃないか?」
「それならアルベルドやエドヴァルド様が守ればいいじゃない」
「ああ、勿論そうする。だからカトリーナの派閥とはいずれ戦いになるだろうな。つまり叔父上と父上は対立する。今まで仲は悪くなかったそうだけどな。要するに王位継承戦争の始まりってわけだ。バルアレス王国が真っ二つに割れて全国各地で争いが起きる」
「わたしにはもうアルベルドが何をいっているのか、わけがわからないよ…」
この国に来た時、エドヴァルドの兄であるギュスターヴの王位継承は確実でその母のカトリーナとその親族がこの国を牛耳る事になるとかなんとか説明を受けた。
エドヴァルドは王位を継ぐ気なんかないから帝国騎士になったので、あちらと面倒を起こす気はないし、イルンにもあたしにも注意するよう言われた。
だけど、エドヴァルドも母親の事は随分大事に思っていたそうだし、犯人が明らかになれば仲の良かった兄だろうと、復讐を邪魔されれば敵対することになる、アルベルドが言っているのはそういうことだ。
スーリヤ様が消えて、王の愛を独占することになったカトリーナが真犯人だと断定している。
「わからないわけないだろ?お前は随分出来がいいとオルプタが褒めてエーヴェリーンも感化されてるんだ。本当はお前にもわかってるんだろ?現実を見たくないだけだ。…まあどうでもいい。とにかくこれ以上面倒を起こす前にこの国を出ていけ。いいな」
クソガキは最後までイルンに厳しく当たって踵を返し、城へ戻っていった。
「は・・・は・・・は。そうなんだ、とっても強い騎士様に貰われて引っ越してきてもやっぱりこうなっちゃうんだ。わたしのせいで兄弟が二つも殺し合いになって国中で戦争になっちゃうんだ」
「違う、イルン。お前のせいじゃない。あんな奴のいう事真に受けるな。お前は人の役に立つ立派な事をしてきた」
深く傷ついたイルンの心にはあたしのありきたりな言葉は胸に響かない。
はは、はは…って泣き笑いの声をあげて、その表情には段々と絶望の色が濃くなってきた。
「もう、こんな世界いやっ。どこまでわたしにつらく当たれば気が済むの!もういやっ、いやなの、おうちに帰りたい…帰りたいの。…リーエ姉、会いたいよう…もういやなの、助けてよぉ……」
段々と消え入るような声で泣いていたかと思うと次の瞬間にはあーーーーっと火が付いたように声をあげて泣き叫んだ。
ギャン泣きだ。
幼児のように大声で泣き叫ぶと辺りには応じるかのように雷鳴が響き、大粒の雨が降ってきた。
その雨で燻っていた火も完全に消えた。
今更雨が降るなんてとイルンはさらに大声で泣いた。
あたしたちに後ろでは、いつの間にかオルプタさんもやってきて女騎士と顔を見合わせていた。
声が枯れるほどに泣いた後、拳を握りしめてイルンは立ち上がって城に戻った。
「ダニエル!ダニエル!!出てきなさい!!」
イルンは魔術で拡声してまで城内のどこかにいるフッガー商会のダニエルを呼びつけた。




