第27話 苦労人の錬金術師
私は一体なぜこんな事をしているのだろうか。
私はただのイザスネストアス老師の秘書の筈だ。
私は平民であり、さしたる魔術の才能もない。
私は老師の世俗面での補佐をしているだけだった筈だ。
いつの間にエドヴァルド様の補佐になったのだろうか。
イルンスール様に間違った情報を伝えてしまっていた事がわかった時、背筋に悪寒が走った。姫様が私を見られた時、目が爛々と赤く燃えている錯覚を覚えそれはすぐに消えたが、名誉挽回すべく奔走することにしたのだ。
それがこんな状態を招くとは。
だいたい老師の高弟達もあんまりだ、私にこんなことばかり押し付けて自分達は垂れ幕に隠れて楽しんでいる。イルンスール様の事を最初はいくら老師の仰せとはいえ、どれほどのものかと値踏みをしていたのにお爺様、お姉様と呼ばれただけで、捕食植物の誘惑ガスでも浴びたかのように可愛がり始めた。
今もまた、臨席させていたフッガー商会と姫様の指示で私の埒外の話を始めることになった。この商人には王国との交渉でも随分役に立ってもらった。私だけではとても王国からの予算を割かせることなど出来なかっただろう。もちろんエドヴァルド様の政務官も同席していたが、我々のような田舎で漫然としていた者達は交渉ではまったく役立たずだった。
「ダニエル。今自由に使える予算はどれだけある?」
「ふむ、2000万エイクほどでしょうか」
意味がよくわからない。
聞き間違いか、単位の計算を間違えたのか。
広間の貴族達も同様に首を傾げている。
全員が困惑する中、ただ姫様だけが用が済んだとばかりに扇で自分を扇いでいらっしゃる。
「おや、お分かりにならない?貴族の皆さま方も?これは大変失礼致しました。いやはや、やはり私は商人としては未熟ですな。修行にいってこいと追い出されたのも納得であります」
こいつが未熟なら王都で何も出来なかった私は何なのか。
「ふーむ、政府予算を論じる時にはこちらの方が都合が良いかと思ったのでありますが、皆様に気を使い過ぎたようありますな。何、無駄口を叩くな、と?確かに確かに、はっはっは。このように無駄が多いからこそ大成しないのでありましょうなあ」
本当に無駄口の多い商人だ、野次を入れた貴族に同意する。
「ははあ、わかりました。わかりました。少しわかりづらい単位ですが、自由に使える予算はだいたい2,3兆オボルほどですな。もう少し待って頂ければ10兆やそこら用意できましょう」
兆?
3,000,000,000,000???
姫様が6歳の時に作られたという口座はそこまで膨らんでいたのか?
老師は過去の悶着の際、この忘れ去られたエッセネ地方の倍の収入はあったというオルステンドの10倍近い収入を隠すのに随分苦労されたそうだが、そこまで?
そんな金額誰も信じるわけあるまい。経緯を知らなければ。
姫様がエドヴァルド様に作られたマントや、今着られている黒絹の衣は値段などつけられないが、どうしても価値をつけるとしたら300万~1000万エイクしよう。皇帝陛下やそれに匹敵する大富豪にしか買えまいが。
ああ、いや、いまはそんなことを考えている場合ではない。
「ああ、その、自由に使ってもよろしいので?」
商人に話しかけながら、目線は姫様に向ける。
薄布の向こうで姫様は問題ないと頷かれている、隣のエーヴェリーン様は視線を姉君と商人に何度もいったりいたりと往復させて、せわしない。そんなエーヴェリーン様にオルプタ殿が落ち着きなさい、とぱちんと扇で叩いている。
「エールエイデ伯。聞いての通りだ、即刻こちらへ送れ。ああ、いや引き取りにいくからちゃんと食事をとらせておけ」
泰然としておられたエドヴァルド様が、話を引き取り無礼な貴族に申し付ける。
「いや、そんな、まさか。馬鹿な話がありますか!事実だとしてもそんなにすぐには調達できますまい」
「たしかにたしかに、すぐには無理ですな」
「それみたことか!」
ダニエルが口を挟むと、伯爵ははったりで対価を払わず財産を奪う気だったと、大声で非難する。
「いえいえ、すぐにというのは契約書の確認がですよ?当然でしょう?そのような大金ですからな。口座の管理をしている自由都市連盟と東方行政区長官のサインを頂きませんと。労働契約書も確認しないといけませんからな」
「なっ、何故!一介の商人が何故、そんなことまで!?」
「何故も何も、わたくしめは東方選帝侯より直々にお世話を命じられているのですよ?」
東方候がそこまでエドヴァルド様のことを?と貴族達が慄くが、保護するよう命じられているのは実際にはイルンスール様の事だろう。
「この際他の領主の方々も如何でしょう。公正な取引がモットーのフッガー商会をどうぞお引き立てください」
商人が道化師のように一礼する。
「さて、エールエイデ伯。もう十分だろう。領地に戻って政務官達と移動の調整を始めるがいい」
エドヴァルド様が解散を命じ、茫然自失とした領主達はめいめいに帰路へついた。
最後にダニエルに大量の食糧を注文されていた。
この際とばかりに姫様に借金されることに決めたようだ。
イルンスール様も気怠げだった様子が嘘のようにお元気になり、エドヴァルド様に
「エーヴェリーンがどうしてもというので神殿から出てきましたが、どうやら来た甲斐があったようですね」
と微笑みかけてエーヴェリーン様を連れてお戻りになられた。
娘に褒められ顔を綻ばせているエドヴァルド様に、会議中じっと黙って聞いておられたイーデンディオス老が近づかれその顔を醜く歪ませる一言を放った。
「もう十分でしょう。スーリヤ様を姫様に診せられてはいかがですか?」
富が集中してしまう貴族社会です。
とはいえそのままだといつかは衰退するので、結局領主は民衆の面倒を見なければなりません。
弱小領主は近隣のより強大な貴族を頼ります。
バルアレス王国は絶対王政ではありませんので、有力貴族の連合社会。
金をため込むだけ貯め込み、奢汰にふけり民衆に還元せず国力を上げなければいずれ誰かに滅ぼされる世の中です。
盛者必衰




