10. 謝恩会
こうして、僕たちは仲直りした。
圭人くんはやっと安心したらしいけど、ひっつき虫になってしまった。家の外ではそうでもないけど、家に入ると引っ付いて甘えてくる。
かわいいので甘やかしてやる。すると逆に「俺を甘やかしすぎです」と怒ってくるので、よく分からない。そこがまたかわいい。
季節は冬に入った。メールチェックをしていると、謝恩会のお知らせが目に入った。
謝恩会か。僕は腕組みをして、椅子をくるくる回した。
圭人くんとした喧嘩でこじれてしまったけど、僕は正直、壁谷さんと会ってみたい。そして謝恩会はちょうどいい機会だと思う。
問題があるとすれば、僕は人混みが苦手で、ちゃんとしたスーツを持っていないことだけど……。
しばらく悩んでいると、玄関のドアが開く音がする。僕はすぐにとんでいって、圭人くんを迎え入れた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
圭人くんは部屋に入って、ぶるりと身震いをした。僕はコートを受け取って、ハンガーにかけてやる。
「ご飯にしようか」
「はい、お願いします」
圭人くんは手洗いとうがいのために洗面所へ向かった。僕は冷蔵庫の圭人くんが作り置きした総菜を冷蔵庫でチンして盛り付けた。
途中で圭人くんも戻ってきて、冷凍ご飯を一緒にチンする。電子レンジのオレンジ色の光の前で、今日あったことを報告し合った。
「そろそろ謝恩会があるからって、壁谷が張り切ってました」
圭人くんは振り切れたのか、僕の前で堂々と壁谷さんを呼び捨てするようになった。僕は思わず苦笑いして「そっかぁ」とあいまいに頷いた。
しばらく無言になる。圭人くんが僕に体重を少しかけて、「相談があるんです」と呟いた。
珍しい。思わず圭人くんを見上げて「なあに」と尋ねると、圭人くんは真剣な顔で言った。
「壁谷の相談に、乗ってやってほしいんです」
思いもよらない言葉に、僕は驚いてしまった。圭人くんは、あれだけ壁谷さんに嫉妬していたのに。
「どうして?」
「もう俺じゃどうにもならんみたいなんで」
そうして圭人くんが話したことには、こうだ。
壁谷さんは現在大学生。だけど僕に憧れて大学を辞めようとしている。
最初は謝恩会で僕に会ってから考えると言っていたけど、最近は「絶対に大学を辞める」と言って聞かない。
「俺のことが信用できないのかと思ったんですけど、そうでもないらしくて。だけど俺の気持ちとしては大学を辞めてほしくない」
「うん」
「つまり俺が話すと、『大学は辞めるべきじゃない』って前提が先に立つんです。どうもそれでフィールドを張られている気がして」
「それで、大学を辞めてきた僕に相談したいってこと?」
「まあ……もろもろを端折ると、そうです」
なるほど、と頷いた。圭人くんは縮こまって「すみません」と謝る。
「正直に言うと、壁谷が遥さんに憧れているから大学を辞めたいって言ってるのが一番の理由です」
「そうなんだ。それはたしかに、僕が適任だね」
僕は上機嫌になって、圭人くんの肩に頭を預けた。
「頼ってくれて嬉しい」
圭人くんも僕も成長したなぁ、と思う。夏ごろはあんなことになっていたのに。
「分かった。謝恩会で会うのが一番自然かな」
「そうですね」
まさか圭人くん本人からそう持ち掛けてもらえるとは思えなかったから、嬉しい。
僕は「ありがとう」とお礼を言っていた。
「なんで?」
驚いた顔の圭人くんには、鼻を鳴らして抱き着く。
「頼ってくれたから」
それが何よりも嬉しい。
僕は謝恩会へ出席する旨を出版社へ伝えた。その次の週末、僕たちは謝恩会のためのスーツを買いに行った。とはいっても買う必要があったのは僕のだけだ。だけど僕より圭人くんの方が張り切っていて不思議だった。
こうして無事にスーツを入手して、とうとうやってきた謝恩会当日。
僕は圭人くんに髪の毛をセットしてもらった。圭人くんは先に家を出る。どうやらあっちの方で準備の手伝いをするらしい。
いつものいってらっしゃいのやり取りの後、僕は改めて鏡の前に立った。髪の毛をおしゃれなハーフバックにしていて、別人みたいだ。
髪の毛をセットする圭人くんの手つきの優しさを思い出して、うっとりする。いや、そんな場合でもない。
僕はSNSのDMを開いた。壁谷さんに、謝恩会へ行くことを伝えたんだ。
壁谷さんはすごく喜んでいるみたいだ。会えるのを楽しみにしていますと言ってくれた。
それで壁谷さんの話を聞きたいと打ち込もうか悩んでいると、壁谷さんの方から先に返信があった。
先生に相談したいことがあります。その文面に、僕はほっと胸をなでおろした。向こうから言ってくれるなら話は早い。
僕は「謝恩会で会いましょう」と返事をして、家を出た。
会場になっているホテルへ到着して、招待状を見せた。ホールに案内されると、もうたくさんの人がいた。それに一瞬怯む。
今の担当さんがやってきて「野木先生」と僕を呼ぶ。思わず背筋を伸ばすと、辺りの視線が一斉に僕へと向いた。
「え、野木先生って野木遥先生?」
「マジか! デビューしてから一回も謝恩会来てないって聞いてたけど」
「本物だ……!」
周りが僕を取り囲んでいろいろ一斉にしゃべりだす。僕が目を回していると、今の担当さんがそれとなく僕を連れ出してくれた。
会場の隅の椅子に腰かけていると、周りも僕を遠巻きに見るようになった。これはこれで居心地悪い。
しばらくぼんやりしていると、各編集部の編集長や社長が入場してくる。スピーチをぼんやり聞いていると、担当さんからシャンパンを渡された。
乾杯の音頭に合わせてぼんやりグラスを掲げて飲み干す。後は歓談の時間みたいだ。
さて、壁谷さんはどこにいるんだろうか。圭人くんを目印にすればいいんだろうか。
きょろきょろと辺りを見渡していると「野木先生!」という緊張した若い男性の声が聞こえた。
こちらに歩いてくるのは、ぼさぼさ頭の男の子だ。その後ろには呆れた顔の圭人くんがついてきている。
たぶん、壁谷さんだ。僕は慌てて立ち上がる。
「はじめまして」
慌てて挨拶すると、「あっあっ」と壁谷さんは変な声をあげた。
「はっ、はじめまして! いや俺はサイン会で先生とお会いしたことがあって、ははは」
「壁谷先生。しっかりしてください」
圭人くんが雑に壁谷さんの肩を叩く。ちょっとどつくみたいな気安さに、ちょっと微笑ましくなった。
「こんにちは。壁谷さんですよね」
「はっ、はい! 壁谷です!」
しゃんと背筋を伸ばす壁谷さんに、僕はにこりと笑った。
「DMありがとう。あと、いつも見てくれていてありがとう」
僕の言葉に、壁谷さんは「ひゃい」と変な声をあげた。それをまた圭人くんが「しっかりしてください」と白い目で見る。なんだかんだといいコンビなんだろう。
周りが僕と壁谷さんの会話に少しどよめく。おずおずと、他の若い作家さんが僕の側に寄ってきた。
「あの……私も、野木先生に憧れて」
「俺もです。先生の初連載作品、今も全巻持ってます!」
何人かの若手に取り囲まれて、僕の周りに人だかりができる。僕は少し慌てたけれど、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。みんなへにこりと微笑みかける。
そうして話してみると、案外楽しかった。何人かの若手が僕に憧れてくれている話は聞いたことがあったけど、本当に壁谷さん以外にもいたんだ。
ここで話した子たちもSNSをフォローしてくれているみたいだったから、後でフォロバしようと思った。
謝恩会も終わる頃には、僕はたくさんの連絡先を手に入れていた。ちゃっかり別の編集部も僕へ連載の打診を持ちかけてきた。
くらくらしながら閉会の言葉を聞いているけど、これからが一仕事だ。僕は担当さんの隣でぐったりと椅子に座りながら、圭人くんと壁谷さんを目で追った。
閉会の宣言の後、壁谷さんを連れた圭人くんがこちらへやってくる。担当さんを見上げると、こちらにも話は通してあるみたいだった。頷きだけが返される。
「行こうか」
僕は立ち上がって、壁谷さんを見上げた。
壁谷さんは覚悟を決めているのか、すごむみたいに頷いた。




