6. 冷却期間
ホテルへチェックインしてシャワーを浴びる。アメニティのバスローブに着替えて、ベッドに横たわった。
圭人くんにお世話されるようになってからは、ずっと湯舟に浸かっていたことを、ここになってまざまざと実感する。
身体が強張って上手く眠れない。いや、喧嘩してしまった緊張と不安のせいもあるんだろうけど。
こういう不安な時は、とにかく手を動かしてごまかすに限る。僕はタブレットを充電器につないで、電源を入れた。こっちにも作画アプリを入れているから問題なく動く。タブレット用のペンを手に持って作画を始めた。
スマホはひっきりなしに通知音を鳴らしている。ときどき着信音も鳴る。全部圭人くんだ。ちょっとかわいそうになってきたけど、いやいや、と首を横に振る。
今回どっちが悪いかと言ったら、圭人くんの方だ。自分の不安を怒りとして僕にぶつけて拗ねてきたのは、よくない。しかもその上ふてくされていた。
でも圭人くんは僕よりずっと年下だ。そんな年下の恋人を甘やかせない僕ってなに? 甲斐性なしってことなのか?
ぐるぐる考えている間に、気づくと部屋がほの明るくなっていた。手はペンを手放して、タブレットも少し遠くに置かれていた。たぶん、どこかで気絶したんだろう。
僕はのそのそと身体を起こして、カーテンを開けた。外はすっかり明るい……というか、ほとんど昼だろう。とりあえず歯を磨いた。
まずい。もうすでに、かなり寂しい。
身体に染み入るような切なさがある。
コンビニでおにぎりを買って、朝ごはんにする。スマホの画面を開くと、圭人くんからのものすごい数のメッセージが届いていた。
ごめんなさい、とか、俺が悪かったです、とか。長文でしたためられた謝罪文もある。それから出勤前に電話をかけてくれていたのか、午前七時ごろに着信履歴があった。
その電話で、僕はどうして起きなかったんだろう。この電話に出ていたら、何か違っていた気がする。
まだ圭人くんにもやもやしているのは本当だ。だけど僕は今かなり寂しいし、圭人くんに酷いことをしてしまったと反省している。
このメッセージの数々を見るに、相手も相当参ってしまっているみたいだ。ここまでするつもりじゃなかった。こんなにショックを受けているんだったら、こんなことするんじゃなかった……。
黙々と反省する僕のスマホに、また一件通知が入る。永井さんからだ。
チャットを開くと、「うちの甥がご迷惑をおかけしました」と書いてある。驚いていると、「今通話大丈夫ですか?」と猫のスタンプ付きで聞かれた。
たまらずこちらからかける。永井さんは二コール目で出た。
『お久しぶりです、野木先生』
「永井さん……」
その声を聞くとほっとする。電話口の向こうで、永井さんは『大丈夫ですか?』と僕を気遣ってくれた。
『圭人から、先生にひどいことを言ってしまったと連絡がありまして。それでご連絡を』
「あ、ああ……あれは、僕も大人げなかったので……」
いえいえまさか、と永井さんは声のトーンを上げた。
『一応圭人からも話は聞いていますが、どんな状況だったんですか?』
その質問に、僕はゆっくり事情を話した。
圭人くんが壁谷さんに嫉妬したこと。それで僕に当たるみたいな言動を取ったこと。挙句に対話を拒否したこと。それに腹が立って家出したこと。
永井さんはふむふむと相槌を打って、『そうですね』と明快に言った。
『この度はうちの甥がとんでもないご迷惑をおかけしました』
「え、あ、いや……でもやっぱり、僕も大人げなかったから」
おろおろと圭人くんをフォローすると、永井さんは『いやいや』と否定の声を上げた。
『嫉妬した挙句、パートナーに当たり散らすのはいけません。一線を越えています』
「でも……」
『先生、ここは圭人をしばらく許さないでやってください。先生は優しいからすぐ自分が我慢しようとしますが、それは圭人のためにもよくないです』
圭人くんのため。予想もしなかった言葉に黙り込むと、永井さんは『これは老人のお節介なんですがね』と優しい声色で言った。
『先生も圭人も、まだまだ若い。その上、二人とも長く続く関係を築くことに不慣れだ』
いきなりズバッと切り込まれて、僕は少しのけぞった。この人には、一体どこまで見透かされているんだろう。
『圭人は依存体質ですから、一旦ここは我慢を覚えさせてやってください』
「で、でも……」
すでに僕が我慢できそうにない。もどかしくて唇を噛むと、永井さんは『お願いします』と穏やかに、だけどノーと言えない強さで言った。
『このままだと、ずぶずぶの泥沼になりますよ。ここで学習させないと圭人は嫉妬するたびにああなりますし、先生もそれはしんどいでしょう?』
「たしかに……」
とはいえ、それって僕が我慢すればいいだけじゃないか……?
ぐるぐる考え込んでいると、電話の向こうで永井さんが朗らかに笑った。
『今はいいでしょう。でも圭人は何年も、それこそ人生をともにする覚悟で先生と一緒にいると思います。あっ本人の許可なしに言っちゃった、忘れてください』
思わず全身が熱くなる。それは僕も察してはいた。
これだけ僕を全身全霊で愛しておきながら、一生をともにすることを考えないとは、圭人くんの性格からすると考えにくい。
何より僕も、そうだったらいいなと思っている。ずっと圭人くんと一緒にいたい。
『だから先生、ここは一旦こらえてください。圭人には時間が必要なんです』
「時間が必要?」
『自分の中の感情を整理して、上手く吐き出すための時間です。先生が距離を取ってくれてよかった』
よかったと言われて、無意識に強張っていた身体の力が抜ける。
それに永井さんの言う通りだ、と思った。過去には僕が感情を上手く処理できなかったことがあったけど、今は圭人くんがそうなんだ。そして今、喧嘩のトリガーになったのは僕の行動で、圭人くんの暴走の原因は僕だ。
だから僕と離れていた方が、圭人くんも頭を冷やしやすいだろう。
僕は思い切って、ひどい本音を少しだけ言った。
「……永井さん。圭人くんはひどいと思いませんか? 僕は後輩をフォローしただけなのに」
『ひどいというか、愚かですね。我が甥ながら情けないです』
さっぱりと切って捨てられて、僕はちいさく笑った。ずっと鼻をすすって、頷く。
「分かりました。僕も、圭人くんと会うのは我慢します」
『すみません。お手数おかけします』
永井さんは穏やかにそう言って、通話を切った。
僕は一旦ベッドに突っ伏して、改めて寝た。
日が落ちてからスマホを見ると、圭人くんから一件だけ通知が来ていた。「頭冷やします」とだけ書かれた文面に、僕は「了解」「三泊四日で帰るね」と返信した。
これ以上の長さだと、僕が寂しさでどうにかなってしまうから。




