3. 同担拒否(佐原視点)
週末の遥さんはすごかった……。俺は出勤のための電車に揺られながら、いろいろなことを思いだす。
俺の担当作家に嫉妬して、俺に甘えてくる遥さん。俺への独占欲を剥きだしにする遥さん。朝思い出すとよくない姿でベッドにいる遥さん……。
おかげで、これからの予定にあるクソ生意気な作家との打ち合わせにも耐えられる。
壁谷稔。あろうことか野木遥ファンを公言してはばからない、不逞の輩だ。
駅に降りたら、すぐ近くのカフェに入る。後で連れが来ることを伝えて、ひとまずアイスコーヒーを頼んだ。
そして、来ない。約束の時間を十分過ぎても来ない。
俺がしびれを切らして電話を入れようとしたところで、そいつはのこのこと現れた。
「あ、佐原さん。お疲れ様です」
よれよれのシャツにしわだらけのスラックス。背中にはでかいリュックを背負っている。
一応見てくれをなんとかしようという努力は評価するが、こういうときは詫びの一言が欲しい。
「座ってください」
だけど壁谷にその手の社交辞令は期待できない。俺はさっさと着席を促した。
彼は「はい」と気だるげに頷いて、よいせと椅子へ座った。
年齢、十九歳。職業、大学生。
生意気なことにデビューが野木遥より一年早い。いや、漫画の実力はあるからそこはいい。
問題は――野木遥に憧れて、大学を辞めようとしていることだ。
それについて通話で話すことに限界を感じて、今日はここへ呼び出した。
当の本人は「大学辞めるなって話ですよね」と不貞腐れている。
「なんでですか」
「壁谷さん。大学を辞めても大きなメリットはありませんよ。むしろデメリットばかりです」
「野木遥は辞めてるじゃないですか。しかも結構な名門校を」
お前と野木遥じゃ格が違うだろうが。俺は自分の厄介な部分をねじ伏せて、にこりと微笑んだ。
「その分、それ相応の苦労をしたようです。当時の担当編集から、その頃の話は聞いていますよ」
本当だ。おじさんから野木遥の担当を引き継ぐとき、その時のいきさつをたっぷりの私情と一緒に聞かされた。
俺やおじさんみたいなドライに見えてウェットな人間に、遥さんは劇薬だ。だからおじさんが「なんとかしなくては」と思わせられて、実際に何とかしてきた側面は絶対にある。
だけど俺が壁谷相手にそこまで親身になれるかというと無理だ。壁谷にその手の魅力はない。そもそも俺の親切はもう遥さん限定だ。
壁谷は見るからに不満な様子で首を傾げ、俺をにらんだ。
「ところで佐原さん。野木遥の前の担当だったって聞きましたよ」
「それ今の話と関係ないですよね」
「野木遥の連絡先ください」
「個人情報なので渡せません。SNSのフォローをするのは?」
「してるに決まってます。サイン会以外で野木遥に会ってみたいんですよ」
うっとりした顔で言うこいつに、内心この東京モンがと毒づいた。俺が東三河の田舎でくすぶっている間に、こいつは野木遥のサイン会に行ってサインを書いてもらったらしい。いや、うらやましくはないんだけど……。
遥さんはこいつに嫉妬しているらしいが(これは本当にかわいすぎるので俺がどうにかなってしまう)、俺もこいつに嫉妬している。
俺と違って漫画書きという共通点があって、もしかしたら、遥さんと分かり合ってしまうかもしれないこいつに。
「でも、年末の謝恩会でお会いできるかもしれませんよ」
心にもないことを言っておく。遥さんは人混みが苦手だから基本的に謝恩会へ顔を出すことはないが、こいつはそれを知らないだろう。
案の定壁谷は「本当ですか」と顔を輝かせた。その隙に「だからですね」と話をねじ込んだ。
「その時まで、退学については一旦考えるのを保留しておいてはいかがですか?」
「はい。そうしようかな……」
途端に掌を返した壁谷。チョロくて助かった。俺は内心胸をなでおろして、ついでの話を始めた。
「掲載された読み切りですが、反応はあまりよくなかったです」
「ああ、はい。ですよね」
壁谷はそう言って、自分の唇をつまんだ。考え込むときの癖だ。
「まあでも、いっぱい暴れられたんで満足です。それからこれ、次回作のネームとプロットです」
そう言って、壁谷はリュックからファイルを取り出した。そこにみっちり詰まった紙束を受け取って、読んでいく。
何がいちばん腹立つかといえば、こいつの実力が本物だってことだ。
野木遥と同じ分析の鬼。だけど遥さんより自我が強くて、俺と喧嘩できる。
だから仕事がやりにくいかやりやすいかで言えば、正直……やりやすい。話が早くて助かるし、ぶつかるときは徹底的に殴り合える。
「……たしかに面白いです。次は路線を変えて読者受けを狙うんですね、いい判断だと思います」
「よっしゃ。俺、佐原さんの見る目は信じてますから」
お前がドヤ顔するな。俺は内心顔をしかめながら、受け取ったネームを返した。
「では、後でデータ化して送ってください。今日はこれくらいにしておきましょうか」
「え、昼飯おごってくださいよ」
「……仕方ないですね」
なんとなく、壁谷は大成する気がしている。だからこそ大学を辞めるなんてばくちに出る意味が薄いからやめてほしい。お前はそんなことをしなくても漫画家としてやっていけるから今のうちに教養を積め。
そんなアドバイスをビジネスオブラートに包みつつ伝えると、壁谷はカルボナーラを口いっぱいに詰めてあいまいに頷いた。まったく失礼な奴だ。




