七
七-七
乙姫は自害や延命、海底に引き返せる丸薬といった、薬が入っているとは言っていないと答えた。
薬は自分の勝手な想像だったが、まさか煙が噴出しようとは。
「それは煙ではなく、小さな水の粒です。地上でいう濃い霧のようなもので、太郎様を包んでいます。太郎様と私達がお話しできるのは、この霧の中だけなのです。」
「それで煙とうないんか。ふつうに息もできるじゃ。」
「はい。人間の体質に戻った太郎様でも、霧の中では息ができますから。」
「じゃが煙、いや水の霧が出る前に手箱を開けたことが、何で分かった。」
乙姫は、自分が地上に帰った後の行動を見ていたが、話だけはできなかったと、申し訳なさそうに言った。
「オラ、このまま霧の中で死ぬんか。」
「あなたは海底で五十年も生きられましたので、地上に帰ってご寿命が来たのです。お帰りになられた後、皆が太郎様のご助命を申し出て、私もお助けしようと手を尽くしました。しかし、こればかりは私達では、どうすることもできない宿命なのです。」
「いやじゃ、いやじゃ。オラは海に入って五日、帰って二日しか生きとらん。それにゼクスの願いを、まだ誰にも話しとらんし、地上ですることがいっぱい見つかった。命が惜しいんではない。何もできんまま死ぬのが、悔しいんじゃ。助けてくれ、このとおりじゃ。」
海水にまみれた砂に、両手を突いて訴える。しかし不気味な霧は消えそうになく、情勢が変わる気配もない。
いくら頼んでも無駄な叫びか……。それは乙姫も分かっているらしく、少し沈黙の時が流れた。
「太郎様は、もう五十歳を越えました。座っているのも、辛くなっていませんか。」
そう言われると、今すぐ横になりたいほど辛い。周囲が何も見えないので、心細さも加速する。
「太郎様が鯛の計画を見抜いたのは、正直申し上げて驚きました。でも、ご招待に応じてくださったおかげで、私達は絶滅から免れることができました。」
私達とは、海底で人間に見えていたのは、鯛だったということになる。つまり乙姫も、加奈も、一太夫も二太夫も、農民も侍も、全部が鯛だったのだ。
海底で五十年も眠らされ、夢の中で鯛を人間と思って相手にしていたとは……背筋が凍る。
「いいえ、夢の中ではありません。私達は太郎様と同じ人間に化身して、お相手いたしました。龍宮や農園は、タコのトポスさんが設計して、実際に建築したのです。」
地上を知らない魚やタコが、人間が住む建物を設計したり、建築できるはずがない。その前に、海底まで建築する材料をどこから、どう調達するのか。子供でも笑い飛ばす戯言だ。
「建築したと簡単に言うたが、地上へ出たことのないタコや魚が、城のような屋敷や農園を、海から眺めただけで、作ったと言うのか。」
「太郎様が海底に来られて滞在される以上、十分におもてなしできる建物が必要でした。日頃から情報協力をされているカモメが空から、イタチや土ネズミが地上から、また夜の暮らしはフクロウが、風呂や厠は青大将が、お城や侍屋敷、神社、農園の内部まで詳細に調べてくださいました。」
そんな調査をしてたとは……そういえば龍が出てから、イタチやカモメを身の回りでよく見るようになった。
「じゃが、イタチやカモメが調べても、海底までどうやって知らせるんじゃ。」
「彼らが見た景色や状況が、そのまま海底にいるアンコウのミンクに映像として送られ、共有の情報として利用されるのです。」
「これもゼクスの技術か。」
「そう思っていただいて結構ですが、ミンクは強い霊感をもっている魚です。これで人間の日常生活や食べ物、着る物、欲求や興味を、把握できるようになりました。」
「それでも鯛が人間に化けるなぞ、誰が信じるか。地上に住む人間を魚が知るよしもないじゃろ。もし化けることができたって、見たらすぐ分かるじゃ。」
「おっしゃるとおりです。太郎様に見破られない人間に化身するには、ずいぶん苦労しました。」
「オラが釣った鯛も、人間に化けることができたんか。」
「いいえ、鯛は化身できません。リュウビの術です。」
ばかばかしい話だ。魚やタコにそんな能力があるはずがない。信じろと言っても無理に決まっている。やっぱり眠らされて、夢を見せられていたのだ。
「そうか、鯛は父っちゃんやオラを憎んでおった。そんで二回も龍に襲わせて父っちゃんを食い殺し、オラの時は失敗したで、ショウを使って海に誘い込んだ。そうじゃな。」
だが帰って、龍の置物で真相の糸口をつかみ、丘に上がって問い正しても返答はなかった。
「ご不信と、お怒りはごもっともです。なぜ龍が太郎様を襲ったのか、なぜ海底にご招待したのか、そして、なぜ海底に明るい国があって、太郎様と同じ人間が暮らしていたのかを、お話しいたしましょう。水の粒の中は海の中と同じで、時を伸ばせます。」




