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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
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73/86

六

七-六

 次郎が手箱を取りに帰ろうとすると、磯八が袖(そで)を引いて止(と)める。

「そんなら地上に帰ったら、すぐ呑(の)むように言うじゃろう。どうにもならん時に開(あ)けろは、変ではないですか、もう一日(いちにち)待ってみましょう。明日(あす)は、三十のままかもしれんですし五十、いや六十になってからでも呑(の)めばええ。早(はや)まって呑(の)んだ薬が毒(どく)なら、大変じゃ。」

 磯八の意見(いけん)に一理(いちり)ある。

 黙(だま)ってうなずき、音根の葬儀(そうぎ)を手伝うことにした。


 夕刻、男女(だんじょ)五十人の村の衆(しゅう)が集まって葬儀(そうぎ)が執(と)り行われた。

 遺体(いたい)は木の箱(はこ)に入っていて、村の若い男(おとこ)衆(しゅう)六人が担(かつ)いで五十人の列を従(したが)え、丘を上がって裏島寺(うらしまでら)に安置(あんち)した。

 作佐の読経(どきょう)が続く中、急造(きゅうぞう)の墓石(はかいし)には、次郎の希望(きぼう)で作佐が“待人(まちびと)成就(じょうじゅ)信女(しんにょ)”と墨(すみ)で大きく書(か)いていた。

 埋葬(まいそう)がすんで墓(はか)に手を合わせると、脳裏(のうり)に十八歳の音根の笑顔(えがお)と心配(しんぱい)そうな顔が、交互(こうご)に現(あらわ)れる。

 初夏(しょか)の長い夕暮(ゆうぐ)れが闇(やみ)に変わり、寺から海に続く下り坂で提灯(ちょうちん)の列が、ユラユラ揺(ゆ)れて寂(さみ)しそうに下る。

 その先の海には細(ほそ)い三日月(みかづき)の淡い光を、波が映(うつ)して点滅(てんめつ)する。それは音根の瞳(ひとみ)に似た、涼(すず)やかな瞬(またた)きであった。


「音根。早いうちに、そっち行くかもしれんぞ。」

 昼間はあれほど眠(ねむ)かったのに、眠れば老(ふ)けると考えると、眠(ねむ)れない。

 燭台(しょくだい)の灯を消した真(ま)っ暗(くら)な部屋で、空(むな)しく天井を見つめ、心細さと不安を抱(かか)えながら薄い布団(ふとん)を頭から被(かぶ)った。

「太郎様の故郷(こきょう)が、酷(ひど)い仕打ちをすると分かったら、龍宮(りゅうぐう)に引き返しますか。」

 帰る途中(とちゅう)でショウの言った意味(いみ)が、やっと分かった。

「まだ二十二年しか生きとらんオラを、地上(ちじょう)は七十(しちじゅう)過(す)ぎの爺(じい)さんにするんか。」

 庭先(にわさき)の小鳥のさえずりで目が覚(さ)めた。陽(ひ)ざしが木々の影(かげ)を、障子(しょうじ)に投影(といえい)している。

 飛(と)び起きて庭の池(いけ)に顔(かお)を映(うつ)したが、小さな波(なみ)が立って顔が見えない。自分の姿(すがた)が映る物はないか探していると、次郎が出てきて縁側(えんがわ)に座った。


「残念(ざんねん)ですが、やはり年(とし)が進んでいますなあ。」

「もう四十(よんじゅう)過(す)ぎに見えるってか。」

「ええ。頭に白髪(しらが)が増(ふ)えて、顔つきも。」

 恐(おそ)れていることが進行(しんこう)している。加齢(かれい)が止まるという望(のぞ)みは、水泡(すいほう)の如(ごと)く消え去った。

「次郎さん、こうなったら手箱(てばこ)にすがるしかない。持(も)ってきてくれんか。」

 次郎はうなずいて家に入った。出てくるまでの時(とき)が長かったのは、預(あず)かっていた黒い手箱(てばこ)を渡(わた)すべきか迷(まよ)っていたのだろう。

 庭に出て来た次郎は、大事(だいじ)そうに手箱(てばこ)を胸の前で抱(かか)えている。浮かない表(ひょう)情(じょう)で近付(ちかづ)き、ゆっくり手箱(てばこ)を差し出した。

「どんな事になっても、運命(うんめい)を受(う)け入れてください。」


「わ、分かっとる、覚悟(かくご)のうえじゃ。」

 受け取った手箱(てばこ)を右脇(みぎわき)に抱え、浜の真(ま)ん中(なか)を目指す。ショウが迎(むか)えに来て、海に入った場所(ばしょ)だ。

 この手箱(てばこ)を開(あ)けたらどうなるか……。乙姫を信じたい期待(きたい)と、苦しい死(し)が頭の中で激(はげ)しく戦(たたか)う。

---何もせんと年だけとって、死(し)にとうない。これが最後の望(のぞ)みじゃ。母っちゃん、音根(おとね)、梓(あずさ)、どうかオラを守(まも)ってくれ。

 砕(くだ)けそうになる重(おも)い足と腰に、気合(きあ)いを入れて一歩(いっぽ)ずつ進み、浜の真(ま)ん中(なか)まで来た。


 もう時は残(のこ)されていないと、勇気(ゆうき)を振り絞(しぼ)って海の方に向かう。波打(なみう)ち際(ぎわ)で腰を下(お)ろし、手箱(てばこ)を前に置く。

「黒い手箱(てばこ)を開(あ)ける時が来たぞ、乙姫。オラはあんたの言うた、役立(やくだ)つ物(もの)と言う言葉を信じて開(あ)けるじゃ。」

 固(かた)く縛(しば)っていた太い十文(じゅうもん)字(じ)の縄(なわ)を、小刀(こがたな)で切った。

 手箱(てばこ)から離(はな)れ落ちた縄(なわ)が、打ち寄せた海水(かいすい)と砂にまみれて揺(ゆ)れる。潮(しお)が少し高くなって、波が時(とき)たま膝(ひざ)まで伸び、着物のすそを濡(ぬ)らす。


 グズグズするほど、心(こころ)細(ぼそ)さと更(さら)に加齢(かれい)していく怖(こわ)さが、長引(ながび)くだけだ。潔(いさぎよ)く運命を受(う)け入れるべきと意(い)を決し、声を出して自分に命令(めいれい)を下(くだ)す。

「太郎、ふたを開(あ)けろ。」

 心臓(しんぞう)がドンドンと激(はげ)しく鼓動(こどう)し、蓋(ふた)を挟(はさ)んだ左右の手が、小刻(こきざ)みに震える。

---やっぱり開(あ)けるのは怖(こわ)い。いや、ここで止(や)めたら何も解決(かいけつ)せん。太郎、開(あ)けろ、もう何(なに)も考えるな。

 歯(は)を食いしばり、目は海を睨(にら)んで、両手(りょうて)に力を込(こ)める。


「乙姫よ。ダマされたとはいえ海底での暮(く)らしは楽(たの)しかったじゃ。オラは誰も体験(たいけん)できん世界(せかい)を見ることができたし、ゼクスにも会うた。どんな結果(けっか)になっても誰も恨(うら)まん。」  

 蓋(ふた)が手箱(てばこ)の胴(どう)から離(はな)れた。その瞬間(しゅんかん)、おびただしい白い煙(けむり)が沸(わ)き出して、たちまち周辺(しゅうへん)を包み込(こ)んでしまった。

「うわ、何じゃこの煙(けむり)は。」

 真(ま)っ白(しろ)で何も見えない。早く薬(くすり)を呑(の)まねばと、手探(てさぐ)りで手を突(つ)っ込んだが、手箱には何も入っていない。指(ゆび)を広げて隅(すみ)まで探すが、やっぱり中は空(から)だ。

 頭の中で、女の澄(す)んだ声がした。

「太郎様、とうとう黒(くろ)い手箱(てばこ)をお開(あ)けになりましたね。」

 乙姫の声(こえ)だ。丘や浜から問(と)いかけても、まったく返事(へんじ)がなかったのに、乙姫の方から声(こえ)をかけてきた。


「乙姫か、何で煙(けむり)が出てきたじゃ。早う煙(けむり)をどけて、薬(くすり)をくれ。」

 すがる気持(きもち)ちで、海の方に両手(りょうて)を伸ばす。

「もともと手箱(てばこ)に、薬(くすり)は入っておりません。」

「何でじゃ、困ったら開(あ)けろと言(い)うたんは、ウソじゃったんか。」

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