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真説・うらしまの太郎  作者: 川端 茂
一
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64/86

九

六-九

「海底(かいてい)では五日という設定(せってい)ですが、地上では五十(ごじゅう)年(ねん)が過ぎました。だから地上に帰った太郎の身体(からだ)は、この時差(じさ)を取り戻(もど)すために、一日で十歳(じゅっさい)ずつ加齢(かれい)します。」

「なんだって。二十三(にじゅうさん)歳(さい)が、明日は三十三(さんじゅうさん)歳(さい)、あさっては五十三(ごじゅうさん)歳(さい)に……それは余(あま)りにも……惨(むご)いだろう。」

 時の違(ちが)いだけと思っていたトポスは、急(きゅう)に太郎を案(あん)じる心境(しんきょう)になって声が沈(しず)んだ。


 シオンがリュウビに詰(つ)め寄(よ)る。

「ちょっと待ってください。私(わたし)達(たち)は太郎の鯛漁(たいりょう)と、鯛釣(たいつ)り塾(じゅく)を阻止(そし)するために地上から隔離(かくり)しただけです。その太郎が他(ほか)の生き物と共存(きょうぞん)していく考(かんが)えを、この海底で学びました。」

 マイスも叶(かな)わぬ事(こと)とは分かっているが、わずかな期待(きたい)を持って、相談(そうだん)を持ちかける。

「地上に帰ったら、ゼクスの子孫(しそん)として、他(ほか)の人間たちに伝(つた)えることができます。何も知(し)らずに海底に誘(さそ)い込まれた太郎が、リュウビ様の究極(きゅうこく)の目的を受け継(つ)いだのです。何(なん)とか助(たす)けてやれないものでしょうか。」


 トポスは、顔を真っ赤にして詰(つ)め寄(よ)る。

「このまま朽(く)ち果(は)てさせるのは、実に惜(お)しい。太郎を助けて、人間(にんげん)社会(しゃかい)の未来(みらい)を託(たく)すという妙案(みょうあん)はないのだろうか。」

 じっと鏡(かがみ)を見つめていたリュウビが、クルリと向きを変えて、輝(かがや)く屋敷を仰(あお)いだ。

「かわいそうですが、これは自然(しぜん)の摂理(せつり)。私の力(ちから)ではどうする事(こと)もできないのです。」


 海面(かいめん)が近くなったのか、辺(あた)りがほんのり明るくなってきた。目を凝(こ)らすと、はるか頭上(ずじょう)に淡(あわ)い陽光(ようこう)の筋(すじ)が見える。地上はもうすぐだ。

「無事に帰って来れたんじゃ。母っちゃん、梓(あずさ)、音根(おとね)は、どんな顔するじゃろうか。」

 数々(かずかず)の体験(たいけん)を思い返しながら、じわじわと近づく海面(かいめん)の光の筋(すじ)を、心(こころ)踊(おど)る気持ちで眺(なが)める。

「太郎様、この話はしないと約束(やくそく)しましたが、もう一度(いちど)だけおたずねします。龍宮(りゅうぐう)に引き返(かえ)しませんか。」

「母ちゃんと音根(おとね)に約束(やくそく)したんじゃ、必(かなら)ず五日(いつか)で家に帰ると。」


「お気持ちは、変(か)わりませんか。」

 もうすぐ我(わ)が家(や)に着いて村(むら)の人々と再会(さいかい)する喜びが、弾(はじ)けんばかりに膨(ふく)らんでいる。

 はやる気持ちに水を差(さ)す、ショウの言葉が再び引っ掛(か)かってきた。

「ここまで帰って、決心が変わる訳(わけ)ないじゃ。故郷(こきょう)が酷(ひど)い仕打(しう)ちをするとか言うたんは、誰(だれ)ぞの身に何(なに)かあったんか。」

「いえ、太郎様ご自身(じしん)のことです。海を出られたら、非情(ひじょう)な運命(うんめい)が待っているとお考えください。太郎様、まだ引き返(かえ)せます。」


「気持ちは変わらん。」

 ショウは、説得(せっとく)をあきらめた様子(ようす)だ。

「そうですか。残念(ざんねん)ですがお別れです。海(うみ)から出られると、元(もと)の人間の体質(たいしつ)に戻(もど)って二度(にど)と海の中には入れません。そろそろ地上(ちじょう)です。」

 ザザーと波(なみ)がしぶきを立てて、浜まで二丁(にちょう)ほど手前の海面(かいめん)に出た。

「おお、地上じゃ。すげえ久しぶりに帰ったようで、懐(なつ)かしいじゃ。」

 その海上も地上も、あいにくの小雨(こさめ)模様(もよう)だ。正面に広がる小高(こだか)い丘は、上半分が霧(きり)に覆(おお)われているが、ふもとは雨に煙(くも)っているものの、木々の緑(みどり)は見える。


 あちこちで鳥(とり)達(たち)が飛び交(か)っている見慣(みな)れた景色だ。

「帰って来たじゃ。あの木、この海、オラ達の命(いのち)を支えてくれる宝物(たからもの)じゃ。大事(だいじ)にせにゃならんぞ。」

 海に入る前は鯛漁(たいりょう)に熱意(ねつい)を注ぎ、どの鯛(たい)漁師(りょうし)より数多(かずおお)く釣って、売りさばくことを誇(ほこ)っていた。だが今は違(ちが)う。

 海底で暮(く)らした五日間で、人間の行動(こうどう)や考えが、他(ほか)の生き物の脅威(きょうい)になっていることを、ゼクスから学んだ。


 もう漁師(りょうし)は辞(や)める。これからは自然と人間の正しい関係(かんけい)を、人々に伝(つた)えながら音根(おとね)と各地(かくち)を歩くのだ。

 目の前に広がる景色(けしき)を眺(なが)めながら、ゼクスや乙姫に教(おそ)わったことを反(はん)すうしていると、浜に着いた。

 砂浜に上がったショウは、ゆっくり海の方に向(む)き直(なお)して身体を低(ひく)くした。

「到着(とうちゃく)です。足許(あしもと)にお気を付けて、お降(お)りください。」

 浜の砂(すな)に足を下ろすと、湿(しめ)った砂に少し足が埋(う)もれて快(こころよ)い。トントンと砂の上で跳(は)ね、二度(にど)三度(さんど)と深呼吸(しんこきゅう)をした。


 何(なに)不自由(ふじゆう)なく過(す)ごした海底だったが、やっぱり地上は理屈(りくつ)抜(ぬ)きで気持ちが和(なご)む。

 小雨を揺(ゆ)らす風が顔を撫(な)で、無事(ぶじ)の帰還(きかん)を祝(いわ)ってくれている。

 地上に帰るか海底で永住(えいじゅう)するか、あの時は迷(まよ)い苦(くる)しんだが、やっぱり帰って良かった。

「ショウさん、引き返(かえ)さんで悪かったな。海底の国は素晴(すば)らしい所じゃった。オラはもう海には入れんが、いつかどこかで会いたいものじゃと、乙姫様や皆(みな)さんに伝(つた)えてくれるか。」

「承知(しょうち)しました。それでは失礼(しつれい)いたします。」

 ショウは、打ち寄(よ)せる波を掻(か)き分けて海に入り、まっすぐ沖(おき)に向かう。


「ショウさん。また会(あ)おうぞ。チャコにも会いたいで、連(つ)れて来てくれぇー。」

 抱(かか)えていた二つの手箱(てばこ)を足許(あしもと)に置(お)き、両手を振(ふ)りながら海に入った。腰まで浸(つ)かって遠(とお)ざかるショウに叫(さけ)んだが、ショウは一度も振り返(かえ)ることなく波間(なみま)に消えた。

 波の音や鳥達(とりたち)のさえずりを聞き、雨(あめ)や風(かぜ)を感じるのは地上(ちじょう)ならではの喜(よろこ)びだ。

 大きく息(いき)を吸(す)って、まずは家族(かぞく)が待(ま)つわが家へ……。

 手箱(てばこ)を抱(かか)えて立ち上がった瞬間(しゅんかん)、一歩も進(すす)むことなく足が硬直(こうちょく)し、背筋(せすじ)が凍(こお)り付いた。

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