九
三-九
「私の甲羅のフチに小さな丸い粒があります。これは海の中でも生きていける体質にする丸薬で、人間の姿のままで安全に海へ入れます。お疑いなら全員の方が、お試しいただいてもいいのです。」
こういうことは弥助が興味を持ち、身を乗り出す。
それは毒ではないかと聞くと、命の恩人を薬殺する理由はございませんと、きっぱり言い放った。
「信じられんが、ワシが飲んでも海に入れるんか。」
「もちろんです、一粒で十分です。」
「よし、ワシが試そう。」
「どうぞ。チャコが案内いたします。」
弥助が案内された甲羅のフチへ行く。確かに椋の実ほどの丸薬らしきものが、一列に並んでいる。それを一粒つまんで口に入れ、飲み込むとピョンピョン跳び上がり、腹を叩いて毒でないことを確認した。
「さあ飲んだぞ。これからどうする。」
「チャコに掴まって海にお入りください。危ないと思ったら、引き返せばいいのです。」
弥助は胸の深さまで歩いて海に入ると、チャコの甲羅に掴まって海に潜ったようだ。真っ暗な浜で六人が固唾を呑んで見入る。
どのくらい経過しただろうか。万作が心配そうに、提灯を高くかざして海を窺うが、戻って来る気配がない。
「どうしたじゃ。戻らんぞ。」
浜は異様な空気に包まれた。溺れたのか、殺されたのか……。誰の指図でもないのに、全員がショウを囲んだ。石や棒を手にし、戦闘態勢になっている。
仲良くしたいのは山々だが、もし弥助が戻らなかったら、絶対にショウを許さない。
「ご心配なく。あのお方は楽しんでおられるのでしょう、もう戻られますよ。」
半刻(約一時間)ほどすると、ザブザブと海水を掻き分ける音がして、弥助が戻った。
「いやぁ驚いた。海の中は真っ暗じゃったが、息ができたぞい。それに冷たい感じもなかったし、ほれ、着物も髪も濡れとらん。こりゃあ、摩訶不思議じゃぁー。」
興奮して、身振り手ぶりで話す弥助。ショウの言うことが嘘ではなかったと、誰にともなく試すよう勧める。すると勘次が続いて海に入り、また半刻ほどで戻ってきた。
「すんごいぞ、海の中でも息ができるんじゃ。もういっぺん行ってくる。」
ショウが「一粒で一回しか海に入れない。」と勘次を制したので、それじゃもう一粒くれとせがむが、一人に二回は効かないと言って、受け付けない。
「さあ太郎様。参りましょう。」
すると音根が、悲鳴に似た声で叫んだ。
「行っちゃいけん。太郎さん、行っちゃいけん。」
「音根さん、ご心配でしょうが豊作祭の五日間だけです。お気に召さなければ、すぐにでも帰っていただきますし、お土産をいっぱい持って帰りますから。」
おりんが努めて優しい声を装い、ショウの前に出た。
「亀さんよ。まだ太郎もワシ等も、誰も行くとは言うとらんぞ。もし行くにしても、準備が必要じゃ。明日にしてくれ。」
弥助や勘次の感動した姿を見て、ショウは嘘を言っていないが、でもそれは近場を潜った半刻(約一時間)だけで、深い海の底で五日間も暮らせるのか。
やっぱり怖い、海に入るなんてオラには無理だ。その反面海の中を見たい気持ちも、頭をもたげる。
母っちゃんの言う通り、皆の意見を聞けば、海に入らない正当な理由が出るかもしれない。
「人間がおらず豊作祭もなかったら、すぐ戻れるんじゃな。そうなら招待を受けてもええが、今はだめじゃ。明日の朝にしてくれんか。」
ショウは夜明け前に迎えに来ると言って、海に消えた。
弥助と勘次は海に入った興奮が、まだ覚めない様子だ。万作が二人に、海の中で半刻も何をしていたと問うと、弥助はチャコと一丁ばかりグルッと廻って出てきたと言う。
勘次も頭が浸かる場所まで歩いて行ったが、真っ暗で何も見えないので潜って、不思議な感覚だけを楽しみ、引き返したと言った。
万作は何か変だと、アゴに手を当てて考え込む。七人は夜明け前に集まろうと言い交わし、それぞれの家に散った。
いつしか夜も更け、夜空には無数の星が、明日の好天を教えるかのように瞬いている。
家に戻って勘次と音根も加わり、遅い夕食を摂りながらの話し合いが始まった。
「やっぱ、海の中なんぞへ入るのはやめとけ。どうも解せんのじゃ。」
おりんが思案深げな表情で、重そうに口を開く。
「あたい、太郎さんが戻って来んような気がして……。」
音根は引っ掛かるものがあるようで、行くのには反対だ。梓も遠慮がちに進言する。
「あの海亀、何か企んどるように思うたっちゃ。豊作祭とか、海の中は明るうて人間がおるとか、拠り所や裏付けを見せんと、海に入りたくなる話ばっかり出しとった。」
勘次は思いもかけない経験をしたので、判断に迷っているようで何も言わない。
おりんが首を傾けながら、オラに問うてきた。
「深い海の中に陽は射さんで、真っ暗じゃ。亀の目には、明るう見えるかもしれんが人間の目には、何にも見えんぞ。太郎はそう思わんか。」
すると勘次も、断念を勧める口ぶりになった。
「弥助はんが言うとったな。海は三丁ほど潜ると真っ暗じゃて、息ができたって、何も見えんじゃ行ってもなあ。」




