第93話 お兄様
「お兄様は、どこのお生まれなのですか?」
俺は、牢屋の中でレティシアと並んで座り、話しをしている。
彼女は興味津々なお年ごろなのか、俺に色々と質問をしてきていた。
先程までは、俺の旅の話を夢中で聞いていて。笑ったり少し怒ったりと、とても感情豊かで。
羨ましい……できるのなら、私もいつか旅に出たい――と言って、少し哀しげな表情もしていた。
なぜレティシアが、俺の事をお兄様呼びしているのかというと。
会話をしている途中で、突然――お兄様と呼んでもよろしいですか? と聞いてきた。
理由を聞いてみたら。昔から、優しいお兄さんが欲しかったのだと言われた。
別に悪い気分ではなかったし。彼女に様付けで名前を呼ばれると、なぜか頭の中にチラチラとソフィアの顔が思い浮かぶので。
俺は、お兄様と呼ばれることを、心よく承諾した。
俺がそれを了承すると。彼女は、自分の事はレティと呼んで欲しいと言っていた。
そして今は、俺の生まれた故郷の話を聞いてきている――
「それは……」
むーん……
どう言えばいいんだろうか……
中途半端な年齢で転生して、生まれ落ちた? 場所が牢屋だもんな……
今現在牢屋に入れられていて、俺が生まれた場所は牢屋だ――なんて、洒落にもならん。
「お兄様?」
「えっと……覚えていないんだ……」
「ごめんなさい……」
それを聞いた彼女が謝ってきた。
正直に言えないだけだったので、謝られると心苦しくなる。
「いや、覚えていないだけだから……気にするなよ」
「はい」
「レティシアは、どこの生まれなんだ?」
「レティと呼んでください」
「あ、あぁ。レティ……」
「はい」
落ち込んだ表情をする彼女を見たくなかったので、こっちも質問をしてみる。
そう言われて俺が呼び直すと、彼女は嬉しそうに微笑む――
「私の故郷は、バルトディアです」
「バルトディア王国か……俺もそこに住んでいたことがあるぞ」
「本当ですか?」
「あぁ、本当だ」
「故郷で、お兄様に逢ってみたかったです」
あれ……?
うっとりした表情をしている彼女の顔を見ながら。俺は、ある事が引っかかった。
レティの苗字に……バルトディア……?
なぜ名前に……国の名前が付いているんだ?
自己紹介の時は、名前の長さに気を取られていたが。
今思い出してみると、苗字に国名が付いていることが凄く気になった。
「お兄様?」
「おい、貴様! 出ろ」
俺が黙っている事が気になったのか、レティが俺に話しかけてきていたが。
それを遮るような大きな声が、鉄の格子の方から響いてくる――
「俺か?」
「そうだ」
「お兄様……」
「大丈夫だ」
外にいる獣人が、格子の鍵を開けながら入ってくる。
レティが不安がっていたが、俺は安心させるように彼女の頭に触れてそう言った。
「これを着けろ」
「それは……」
牢屋の中に入ってきた獣人が、その手に持っていたのは。隷属の首輪だった。
隷属の首輪には、魔法を禁止するような設定があったので、焦りが出てくる。
マズいな……
俺の魔法も使えなくなるのかは分からないが……
馬鹿正直に着けたくはない。どうする……
「早く着けろ」
首輪を手に取らない俺に向かって、獣人が声を荒げながら命令してきた。
くそ…… こうなったら……
「マスターキー・クリエイト」
「何だ?」
「何でもない」
左手を背中に回しながら、小声で魔法を詠唱したが。
獣人は耳がいいのか聞こえていたみたいで、その質問に、冷静な口調でそれを否定する。
俺が喋った言葉を理解していないようなので、大人しく右手で首輪を受け取ったら。それ以上は何も追求してこなかった。
首輪を自分の首に装着しながら、左手に持っていた鍵を、後ろに座っているレティの膝の上に放り投げる――
「……?」
「これも着けろ」
「あぁ」
レティは、最初は分かっていないみたいだったが。
すぐに察してくれたのか、彼女は鍵を握りしめて、それを手の中に隠した。
そして、首輪を付け終えた俺に、獣人は手枷のようなものもつけてくる。
隷属の手錠か…… 念入りだな……
「ついてこい」
「わかった」
首輪と手錠を着けた俺に、獣人がそう言って牢屋から出て行く。
少しレティのことが心残りだったが、俺は獣人の後ろを付いて行き、牢屋の外に出て行った――
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「早めに喋ったほうが身のためだぞ」
「ぐぅ……」
俺が連れて行かれた場所は、どうやら拷問部屋のようだった。
部屋の壁際に居る俺の後ろには、体中に鱗がついている、トカゲ獣人らしき奴が鞭を持って構えている。
そのリザードマンみたいな男から、俺は鞭で打たれる拷問を受けていた――
「知らないって言って……ぐぁ……」
壁に向かって、貼り付けにされている俺の背中に、容赦なく鞭が振るわれる。
服を脱がされて上半身を裸にされているので、もの凄い激痛が背中に走る――
「言え! あの王子はどこに逃げた」
「がぁ……」
早く王子の居場所を吐けとの言葉に。意味がわからなかった俺は、繰り返し知らないと答えたが。
その答えが気に喰わないのか、リザードマンは聞く耳を持たずに。ひたすら俺に鞭を打ち続けていた――
くそっ なぜこんな事に……
だいたい……王子って誰だよ……
そんな奴、知っているわけがない……
「ぐぁぁ……」
それから三十分くらいだろうか。ずっと俺のことを鞭で打ち続けていたトカゲ獣人は、疲れた様な息をしながら部屋から出て行く。
最悪の場所に帰しやがって……
恨むぞ、クロフォード……
トリアナは、無事に……逃げられたのかな。
白亜は獣人だから、ひどい目には合っていないと思うが。
恨むのは筋違いだったが、背中に激痛が走るたびに、クロフォードの事を恨みたくなった。
そして俺は、トリアナと白亜のことを心配しながら、気を失った――
「起きろ!」
「っ……ごほっ、がはっ」
息が苦しくなった俺は、無理やり意識を引き戻された。
体中が濡れていて、どうやら頭から水を掛けられたみたいだった。
「連れて行け」
「はい」
トカゲ獣人がそんな命令を出して、俺は貼り付けにされていた壁から解放される。
俺を解放した奴は、少し年老いた何やら猫っぽい獣人の男だった。
この拷問部屋に俺を連れてきたのは、毛深い熊の獣人みたいな奴だったが。
いったいどれだけの獣人が、この砦に居るのだろうか……
猫獣人に再び手錠をはめられた俺は、背中の痛みを我慢しながら獣人の後をついて行く。
隷属の首輪さえなければ抵抗できたが。どうやら、レティが居る牢に連れて行かれるようだったので、素直に付いて行った――
「お兄様!」
俺が牢屋に戻されると、レティが手探りをしながら俺の側に寄って来る。
レティは目が見えないので、こんな姿を見られなくてよかったと思っていたが。
服を脱がされている俺に抱きついてきたので、背中の傷に気づかれてしまった。
「こんな……ひどい……」
「つぅ……おい、待ってくれ」
「なんじゃ」
俺は痛みを我慢しながら、格子の扉を締めて去ろうとしている猫獣人を止める。
「俺の服を、返してくれ」
「服?」
「あぁ。さっきの部屋で脱がされた、黒い服だ」
「そんなものは知らん」
「頼む。大切な人から貰った、大事な服なんだ」
自分で創ったローブはどうでも良かったが。アリスから初めてプレゼントされた服だけは、返して欲しかった。
猫獣人はしばらく俺の顔を見ていたが。やがて、わかった――と一言だけ喋って去っていった。
「お兄様……」
「レティ。鍵を……」
悲痛な表情をしているレティに支えられながら、俺は鍵を受け取る。
鍵を受け取った俺は部屋の隅まで歩いて行き、自分に着けられている首輪と手錠を外した。
そして再び、レティの顔に触れながら魔法を詠唱する――
「じっとしていろよ」
「お兄様……先程も、何か暖かい光を感じましたが……」
「あぁ。治癒魔法で、目が治せないかと思ってな」
「そんな……お兄様の方がお辛いのに。私の事など……」
「大丈夫だ。魔法を使ったから、もう痛くない」
「本当ですか?」
その言葉に俺は返事をしなかった。背中の傷を直したというのは、嘘だったからだ。
次元の狭間から脱出するのに、魔力を使いきっていたので。
少しは回復したとはいっても、何度も魔法を使える余裕が無い。
他人から見れば、哀れみや同情。或いは、俺のただの自己満足に映るかもしれないが。
治せる可能性があるなら。俺にはどうしても、レティの目を放っておくことは出来なかった。
そして。魔法を使い終えた俺は、再び首輪と手錠を自分に着ける。
結論から言えば、今回もレティの眼の光は戻らなかった。
無駄なのかもしれないが。彼女と一緒に居る限り、魔法を使い続けたい。
まずは脱出をするのが優先事項なので、治療に全ての魔力を使うわけにはいかない。
旅に出る時はあれほど準備をしていたのに。アリスやソフィアを助けに行く時は、回復アイテムなどを一切持っていなかった自分の愚かさが、少しだけ歯がゆかった。
後悔先に立たずか……
いくら悔やんでも、仕方がないな。
しばらくすると、猫獣人が俺のローブと服を持ってきてくれたので。礼を言ってそれを受け取った。
牢屋には布団なんて上等なものがなかったので。ローブはレティに渡して、俺は服を着る。
それから、魔力を回復させるために、俺はさっさと休むことにした。
レティは何も言わずに俺の横に寄り添って、一緒に眠りについていた――




