#29
幸せな食卓
灯りの下には笑顔が似合うものだ。
口…いっぱいに幸せな味が広がる。
この幸せを忘れないようにしっかりと噛みしめた。
そこには…喫茶店での仕事を終えて、ようやく帰ってきていた…楓と光透波の両親である泉川夫妻の姿があったのだった。
彼らは…現実離れし過ぎた状況をいまいち把握できてはいなかったが、あの忌まわしく不可解な事件に何かしら関係しているのではと思うのであった。
ただ狙った対象が…アレではなさそうだということに安堵した。
その事実…時が来るまでは娘達や影人の為にも全ての真相を秘密にしておかなければ…いけないのを知りつつもポツリと口をついて出るのであった。
「お父さん…お母さ~ん、お帰りなさい。」
やはり…恐かった………
不安だったのであろう。
両親の顔を見て…平気な顔をして振る舞ってはいたものの緊張の糸が解け、安堵の表情を浮かべ…光透波は微笑んだ。
「………お帰りなさい。
あの………お父さんは…
え…と…その………何か…知っているのですか?」
楓が真剣な眼差しで父親に…そう尋ねると彼女の明るく、いつも朗らかな母親が光透波を胸に…そっと抱きしめながら、話の間に割って入ってきた。
「あ…そうだわ、そんな事より…カエちゃんもコトちゃんも…
ね…ね、それから…皆さんも夕飯にしましょ~!
ここは冷えるし…お腹空いてるでしょ~!
うふふ、あなた達も…お母さんの手伝いしてねッ。」
母親独自の呼び方で娘達に話しかけた。
何か…とても体裁よく話をスパッと切り替えられた感じがして…楓も…頭をなでなでされていた光透波も…おそらくは鈍感な影人でさえ違和感を覚えていたのである。
「おぉ…そうじゃな~。
ほっほっほ…ワシも腹が空いておったし、酒でも呑みたいとこなんじゃ。
………夕食と言うより、夜食に近い時間じゃが…皆でゆるりと食事にしようかの?
諸々の話しは…それからじゃな、腹が減っては何とやらじゃよ。」
影蔵も何か…口裏を合わせているような、不自然なわざとらしい口調なのが…とても気にはなるのであるが…確かに、現状を鑑みると誰もが皆、非常に腹を空かせている事は紛れもない事実であった。
《ぐ~~~~~~~…ッ…きゅるるる~~~~…!!》
タイミング良く…影人の腹時計が鳴るのである。
「………ああッ…そうだ、今夜の夕食の為に作っておいた、おかずが何品かあるから…私ちょっと取りに行ってくるね。」
影人の腹時計を合図にして…光透波は、ミニマム朱雀…ガゥ…蝶ちゃんを連れて、そそくさと自宅へ向かったのであった。
「な、なに…光透波ちゃんの手料理やて?
そら…メチャメチャ楽しみやで!」
どこか昭和なリアクションをする虎慈朗は…パチンッと大袈裟に指を鳴らして、喜びの声を上げるのである。
何故か呼ばれてもいないのに虎慈朗は…金魚の何とかみたいに光透波と愉快な小人達の後を追いかけて行くのだった。
「ち…ち、ちょっと待った。
え~…と、その夕食のおかずって………光透波が作った………のかなぁ~………な…んて…ハハハッ。」
影人は光透波を呼び止めると命に関わるとばかりに恐々と質問した。
「え…なんで………
そんな事…聞くの?」
「いや、その………何て…言ったら…いいかな………アハハハ………」
怪訝そうな表情をする光透波に、影人はお茶を濁したような愛想笑いを浮かべるのであった。
「ふふふ…影人ちゃん……私が作ったのよ…
だ…か…ら…心配ご無用よ。」
楓は…影人の口元に人差し指を当てると、それ以上は言っちゃダメよと念を押してウインクしてみせた。
「ごめん…光透波、いきなり呼び止めたりして悪かったな………
ハハハ…楽しみにしてるから………」
小さく手を振って…光透波を見送る影人。
少し附に落ちない顔をしながら歩き出した光透波であった。
「影人ってば…何が言いたかったのかなぁ~?」
さてさて…小さな別邸とは言えど、それでも普通の庶民的感覚からすればフットサルでも出来そうな…十分過ぎる程に、だだっ広い部屋が幾つもあるから羨ましいのを凌駕して、恐ろしいと言うか驚きである。
その部屋は…襖を開ける事で大広間と化す、総畳み張りの和室なのである。
そこに一通り…皆が全て、入ると視界に映るのは………!?
長い卓袱台をいくつも連ねた急拵えの大食卓である。
そこに上る品々は…ささやかではあるのだが、愛情と真心のこもった美味しそうな色彩が…いくつも、いくつも温かそうな湯気をゆらゆらと立ち上らせて、ずらりと華やかに並ぶのであった。
まず初めに…影人や皆の目を引いたのは、楓が作った肉じゃがであった。
ホクホクで絶妙なる塩加減で煮込まれたジャガイモが実に美味そうだ。
見るからに…じわりと味の染み込んだジャガイモである。
その肉じゃがの味の秘密は肉を先に…砂糖を絡めさせて炒める事で香ばしさを増し、牛肉の旨味を閉じ込めているのである。
それなのにも関わらず、ジューシーな肉汁と柔らかな食感を兼ね備え、具材全てが…楓に感謝していると言っているような素晴らしい出来ばえの肉じゃがなのだ。
その傍の漆塗りの流麗な鯉が蒔絵で描かれた高価そうなお碗にはシンプルながら…合わせ味噌と出汁の旨味が冴える豆腐とワカメの味噌汁がたゆたっていたのだった。
真っ白い小鉢に添えられた緑が鮮やかなホウレン草のおひたしは…楓特製の塩分控えめな昆布と鰹の出汁を使った味付けで、海苔や白胡麻やなんかが混ぜこんである料亭並みの一品であった。
出汁をとった後の昆布と鰹節も甘辛な味付けで佃煮みたいな一品になっていた。
これだけの料理をさらっと作る楓、その光景と手際の良さが目に浮かぶようである。
一方、光透波の手料理と呼べるかは…いささか疑問な一品には涙ぐましい努力の痕跡が見え隠れしていたのであった。
影人に、その様子は…こんな感じだったらしい事を朱雀が耳元へ…そっと教えてくれたのだった。
料理を運ぶついでに自家製の沢庵漬けを香の物として出すようにと…楓から言われた光透波である。
もちろん…切るだけなら楽勝だよ!!…と張り切ってはみたものの、そのぎこちない包丁の握り方や危なっかしい包丁の使い方に蝶ちゃんは思わず、こんなアドバイスをしたりするのであった。
『もう~…ことはってばぁ~ッ……
おててはね…まる~く、まぁ~るく…ニャンニャンニャ~…のおててにするのよ。』
しかし、その貴重なアドバイスは無駄に終わるのであった。
何故なら…小皿に三切れづつ盛り付けられた沢庵漬けは、ステーキみたいに分厚く切られており…なおかつ数珠繋ぎに連ねられていたのだった。
どれもこれも、ひとつとして…ちゃんと切れてはおらず、手伝いにと連れていった愉快な小人達の面々は…散々な沢庵漬けを眺めてはクスクスと…或いは…ケタケタと腹を抱えて笑っていた。
その光景を間近で見ていた虎慈朗。
彼だけは…「めっちゃ美味しそうやで、光透波ちゃん!」等と懸命にエールを送る。
そんなエールも…必死で…次の一品に取り掛かる光透波には届くハズも無いのであった。
こんな事くらいでめげるもんかと…光透波は新しい料理に取り掛かるのであった。
明日の夕食用にと…楓が、すでに下拵えから味付けまでしておいた焼くだけの切り身となった鰆の西京漬けを冷蔵庫から取り出して来たのであった。
それを隙間無く…魚焼きの網に並べて…スイッチ式のコンロの魚焼き用スイッチをポンと押したのであった。
ここまでは…まぁ誰にもでも出来るだろう………
さて光透波は…火加減調節用のレバーが強火のままである事には…まったく気付かず…「まだかな~、まだかな~?」と焼ける様子をジ~ッと見つめていた………
ああ…それなのに…見つめていたハズなのに…である。
まじまじと見つめていたというのに…
なにやら…ちょっぴり焦げ臭い出来栄えになってしまったのだった。
しかし…以前のようにカッチカチな炭になっている訳では無いし、味は保証できるだろう。
もう一品の焦げ臭い残念な出来ばえの焼き魚に目をやる影人。
大丈夫…生焼けじゃないから「OKッ!」と楓が…可愛らしく指で小さな輪を作り…ウインクしてくれたものだから、ついつい喜んで光透波は…こう言った。
「え…エヘン、わ、私に、だって、これくらい作れるんだからね。
だ、だ…だけど…勘違いしないでよね!!
これは…影人の為なんかじゃないんだからねッ!」
光透波の隣に座った楓からは姉らしい気遣いからなのだろうか…ひそひそと耳元でアドバイスをしてあげるのであった。
「光透波……光透波…
あのね、西京漬けや粕漬けなんかはね…焼く時にガーゼで拭き取ってあげるのよ。
そうしないと…ああいう風に焦げちゃうし、それに生臭くなったりするのよ。
ん~…でも…真っ黒焦げにならなかっただけ良かったわね。
私がいないのに…よく頑張りました…偉い、偉い。」
光透波の耳に優しい言葉が染み入ると、料理上手な彼女の母が…何やら、新しいおかずを持ってきたのであった。




