#30
光透波の母…美登里が食卓に新たなおかずを二品追加したのであった。
一つは…影人の大好物でもある、ほんのりと甘い出汁巻き玉子である。
美登里さんの得意料理で、今でも…よく朝食に登場しているようなのである。
影人が幼い頃は…この、ほのかに甘い出汁巻き玉子といつも優しい笑顔の楓を目当てに泉川家に泊まりに行ったものだった。
美登里さんの出汁巻き玉子の秘密…それは隠し味に、少量のハチミツが入っているところなのだ。
甘味は…それと少量のみりんだけなので甘ったる~い感じでは無いのである。
その見た目は…鮮やかな黄色と焦げ目の無い見事な焼き上がり具合で…ふんわりと柔らかく、噛み締めると口一杯に旨味と甘味の出汁がジワリと染みだしてくる玄人はだしな腕前の一品であった。
さて…もう一品はと言うと影蔵が目を輝かせて、これぞ絶品だと喉を鳴らして唸ったレンコンとニンジンのキンピラだ。
このキンピラは…薄くスライスしたレンコンとニンジンを使っているのでシャキシャキとした歯応えがありながらも柔らかく煮含められていて…食べやすいのが魅力である。
もちろん…味もさるもので甘辛く、程よく、懐かしい味わいでありながら…アクセントに一味唐辛子と白胡麻が効いていて、舌を時折…ピリッと刺激する辛味と香ばしい白胡麻が、なんとも食欲を増進させるのであった。
いまや…影蔵の趣味の域を超え、黒鋼家の立派な収入源の一つである陶芸。
その影蔵の手で作られた斬新でいて…趣があり、なかなかに素晴らしい風合いを兼ね備えた大きめな鉢。
そこに大胆に…こんもりと山に盛られたのを待ちきれないとばかりに早くも影蔵がパクついていた。
「あらあら…ダメですよ~影蔵さん!
ちゃんと…いただきますをしてからですよ。」
美登里さんの優しい口調でピシャリと…たしなめられる。
「す、すまん…美登里さんの絶品なキンピラが食えると思うと…ついつい我を忘れてしまったわい。
たはははッ…面目無い、堪忍、堪忍。」
影蔵は…何事も無かったかのように、コソッと箸を置くと…バツが悪そうにクシャクシャと顎を撫でるのであった。
「ほらほら…サッサと食べなきゃ、全部、冷めちゃうじゃないか?
我慢…出来ないよ。」
空腹の朱雀は茶碗や取り皿を小さな手で握りしめていた幼児用の箸を使い、パーカッションの要領で器用にトンカントンカンと叩き鳴らしてリズミカルに催促するのであった。
すると…『うはぁ!こいつは面白そうだ!』とばかりにガゥと蝶ちゃんが…朱雀の真似をして、楽しそうにトンカントンカンと皿を叩き出すのである。
しかし…霊力やオーラの微力な普通の人間にはみえない訳である。
そういった訳で…例えるなら、ポルターガイスト現象のように…箸が空中を舞踊り、皿をトンカントンカンと叩き鳴らす訳なのである。
簡潔にソウルズや念神体の事を説明されたとしてもである。
彼らには…その説明や事情を簡単に理解出来はしないのである。
今も幽霊か何かのように感じられて…恐怖感を覚えざるを得ない状況である事に違いは無いだろう。
そして、不精髭を蓄えた男らしい感じの光透波の父親である薫流も朱雀達の姿は…まったくと良い程にみえないらしく、娘である光透波の肩をギュ~ッと掴まえ…背中にササッと隠れて…こう言った。
「ッ…と…と、と…と、ととと…父さんは…父さんは…別に恐い訳では無いんだぞッ!
あ…光透波~ッ!
うぅぅ~~ッ……」
非科学的なスピリチュアルなモノが大の苦手である…ちょっと頼りない父親に…光透波は、安心させようとこう言ってあげた。
「アハハハハハッ…お父さん。
もぅ~ッ……大丈夫だよ!!
幽霊なんかじゃなくて…皆、み~んな…可ぁ~~~愛い~~ッぬいぐるみ…みたいなんだから。」
《《 バンッ…!! 》》
「ハ~イ…そこまで。
んもぅ~…静かに、しないと食べさせませんよッ!
………オホホホホホッ。」
一オクターブ音程の低い声は空きッ腹にズ~ンッと響く…理性で怒りを押さえた震える声で、テーブルを両手でバーンと叩きつけて、美登里が言葉を放った。
何故かは解らないのであるが…美登里さんには念神体がみえているらしく朱雀をキッと射るような視線で睨み付けると不敵に笑ってみせるのであった。
すると…その鶴の一声で、ワイワイ…ガヤガヤと賑やかだった…否、騒がしかった空気が一瞬でシーンと静まり返ったのであった。
後日………朱雀が…あの瞬間の美登里さんについて…こう語っていた。
『あの眼は…百戦錬磨の戦士の眼だ。
ヤツは…きっと強いよ。
あんな些細な事でケガなんてしちゃ…堪らないからねぇ。』
美登里が作った沈黙を打ち消すかのように…彼女の娘で長女の楓が、一際明るい声で…こう言ったのだった。
「そ、そうだよ、朱雀ちゃん…お母さんが言う通りよね。
……うん。
さぁ…それじゃ、皆…揃って…いただきま~す!」
「うむ…それでは、一旦、難しい事は忘れて…食事の時間としよう。
大地の恵みに感謝して…いただきます!」
楓の発する言葉を受けて、影蔵が音頭をとろうとするのだが…それに先駆けるかのようにフライングして各々が口々に…こう言ったのであった。
皆の食事の開始を告げる声が高らかに響いた。
「戴きます」
『ごはん…ごはん…嬉しいなッ!!』
『わふふ~…いたらきま~ふ!!』
「いッただきま~すッ!!」
『いただきます、さぁメシメシぃ。』
「にょほほッ!
ほな…いただきます。」
『うむ、我も御相伴になるとするか、有り難く頂戴する。』
「ハイ、いただきます!
さぁ…皆さん、たくさんありますから…遠慮せずにドンドンおかわりして下さいませね。」
最後のは、美登里さんの言葉であろうか?
元気よく…同時に放たれた言葉と…ガヤガヤと賑やかな食卓の光景は見ているだけで満足してしまいそうであった。
そんな一時の団欒する彼等は…とても先程まで死の淵を彷徨うかのような激戦を潜り抜けてきたとは見受けられない。
それ程に楽しげな食事風景に思われた。
すると…そのような楽しげな声を掻き消すかのように悲しそうで…切なそうで…ひもじそうなチャッピーこと組長代理の遠吠えが…庭の方から聞こえてきたのである。
《ぅ…ぅ…ぅ……ワォ~~~~~~~~~~………ンン…ッ……!!》
「あっ、チャッピーが鳴いてるよ。
…ねぇ、影人!
チャッピーにもエサをあげなきゃダメじゃない。」
光透波の…その言葉を受けて…影人はモゴモゴと咀嚼しながら面倒臭そうに、こう言い返した。
「ほれひゃ…いふもの…あれふぉ…あいちゅにやっふぉいへふへ。
(※それじゃ、いつもアレをアイツにやってといてくれ。)」
「な…なんでぇ、チャッピーは影人の飼い犬なんでしょ…ちゃんと面倒みなさいよ。」
光透波のまともな言い分をはぐらかしながら…まだ口をモゴモゴさせている影人は手短に返答する。
「えひゃは…いふもの…ばひょにあるから…たのむな……ことひゃ!
(※エサはいつもの場所にあるから頼むな…光透波!)」
ぷ~っとエサを口一杯に、ほうばったリスみたいに頬を膨らませて…不満を表現させてみるのであった。
不満そうな顔をしてみるものの…彼女の本心としては結果的に甘やかす事になるのだろうけれど、まぁ良いか…早くチャッピーにエサをあげなきゃ可哀想だしなぁ~ッと思うのであった。
膨れっ面の光透波は…影人からの頼みを仕方なさそうに…渋々、了解して返答すると…サッサと広間を抜け、軽快そうに足音を鳴らし、廊下を駆けて庭先へと向かうのであった。
「しょ~うがないなぁ~、や~っぱり影人は…そゆトコ変わらないよね。」
光透波が玄関に着くと、少し萎れかけた一輪挿しを見て…こう思った。
「この間、お姉ちゃんが持っていった白い花だよね。
……なんて名前の花だったかな?
それにしても枯れさせるのが早いよね。
ちゃんと…水やりしてるのかな?
影人の世話以外じゃ…梅ちゃんも松っつんも…案外、雑なんだよね。」
……なんてブツブツと呟きながら…ひとつも木目の無い薫り高い檜の下駄箱。
その扉をゆっくりとスライドさせると…一番左上の棚にいくつか山に積まれた缶詰とペット用のドライフードが見えたのだった。
それらの中から…光透波はチャッピーの大好物を手に取り…そそくさと靴を履いてチャッピーのいる庭先へと向かうのであった。
玄関の位置から…大分、離れた池の傍にチャッピーの犬小屋がある。
チャッピーの犬小屋も普通の一般的な家庭の犬小屋よりも三倍はスケールが大きかったのだった。
パッとした見た目は…キャンプ場のバンガローみたいに丸太木を組み合わせて建てられていたのであった。
シンプルながら機能的な造りになっていて幼児くらいなら…ちょっとした秘密基地になりそうなのである。
人懐っこく…頭の良い名犬チャッピーは犬小屋ではなく…縁側に伏せるように寝そべり、わざと大きな音を立てるように雨戸を両前脚の肉球で交互にポンポンと叩き、効率良く…ガタガタという音を立てていた。
なんだか…その姿は「ちょっと…ちょっと…私のゴハンは……まだなのかしら?………早くしてよ。」なんて言っているようにも見えた。
光透波には…そんなチャッピーが自棄に愛らしくて恋しくて堪らなかったのである。
このまま黙って見つめているのも可哀想だよね………なんて思っていると…はにゃ~んッと…はにかんでいる光透波の匂いに気付いたチャッピーが瞳を爛々と輝かせて…ピョ~ンッと一足飛びに光透波に抱きついてきたのであった。
チャッピーは、爪先立ちみたいな格好で両前脚を光透波の肩に乗せて…ハフハフ言いながら頬や鼻の頭をベロベロと舐め回されるのであった。
堪らず…光透波は身体からチャッピーを引き剥がすと「待て」の体勢をとらせたのだった。
「あ…ぁンッ……
こ、こら…そんなトコ舐めちゃ…ダメだよッ。
ほら…良い子だから…お座りッ!
………待てッ!
んんッ…もう~…私はチャッピーのゴハンじゃないから食べちゃダメよ!」
チャッピーにとっては嬉しさのあまり…戯れているつもりでも、くすぐったいのには…めっぽう弱い光透波には…なかなか堪え難い行為なのである。
さらに…一応、中型犬なので、それなりに重いのであるが…それでも飛び付かれた際に押し倒されなかった光透波も案外、力持ちかも知れないのであった。
光透波はグラデーションが鮮やかな色彩で…明るめな黄色をベースにした容器を二つ、犬小屋から取り出したのであった。
容器には…チャーミングなワンポイントにデフォルメされた可愛らしいクマがプリントされていたのであった。
片方の容器には…水を注いでやると、もう片方の容器には缶詰の中身を移し変えようとプルトップ式の蓋のリングに指を通すのだった。
光透波は…グッと力を入れて、パカッと言う金属音を立てて…勢い良く開ける。
チャッピーは…それまで、おとなしく両前脚を肩幅で揃えて、お腹を地面につけ低く伏せていた身体を…むくりと起こして「くぅ~ん!!」と鼻息混じりに一声、鳴いてみせた。
チャッピーなりの催促なのかも知れない。
「ハイハ~イ…おまちどうさま~ッ!」
光透波が缶詰の中身を容器に盛り付けていたのは…驚く事になんとキャットフードであった。
光透波が食べて良いよと合図を出すと猫まっしぐら………否、犬まっしぐらにガツガツと容器に頭を突っ込んで一心不乱に食べ続けるのであった。
「それにしても…チャッピーは変わってるよね~!
肉より魚が好きだなんて…特に今日のマグロ入りのヤツなんか夢中で食べてるもんね。
本当にワンワンなのかなぁ~ッ……えへへ~。」
光透波は…チャッピーの頭を優しく撫でながら…そう語りかけたのであった。
生まれた時から食事中であろうとも人間に触れられる事を一切…嫌がる事が無かったチャッピーである。
そうとう訓練された犬と比べても遜色は無いと言えるのかも知れない彼女の名犬たる理由のひとつである。
チャッピーがマグロや刺身などの生魚が大好きになった理由は案外…単純であった。
その理由とは…竹りんに見つからないように影蔵が、コソコソと隠れて晩酌をするのである。
彼が縁側に腰掛けては…毎夜毎晩、月見酒と洒落込んで晩酌しながら…酒の肴の刺身などのおつまみを何切れか…こっそりチャッピーに与えていたのだった。
いつの間にかチャッピーも食べ慣れて好物となってしまうのも当然と言えば、当然である。
「それじゃ、良い子にしてるんだよ。
おやすみ…チャッピー。」
小さく手を振って…名残惜しそうに、いそいそと玄関へと戻る光透波である。
カラカラと玄関の戸を閉めると…ブルッと肩を震わせて、ため息をつく。
「もうすぐ夏なのに今日は…とても冷えるよね。
お腹、空いたよ~ッ。
さぁ…私もゴハン食べなくちゃ!」
そうして…夜は更けていくのだった。
こんなにも幸せで…平和な時間さえも…戦う事を運命付けられた少年少女にとってしてみれば、どれだけ贅沢で貴重な時間であるのかを、これから思い知らされる事になるのであった。




