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白い部屋。
壁に貼られたポスターがやけに具体的で
目のやり場に困る。
向かいに座る医師は淡々としている。
「旦那さんは特に問題ないですね」
その一言で、朱里の肩がわずかに動いたのが分かった。
俺は頷く。
安心、というより確認。
「強いて言うなら、睡眠ですね
あとは長時間座りっぱなしなど、姿勢に気をつけてください」
研究室での時間が頭をよぎる。
「奥さんですが」
その言葉で、空気が少しだけ変わる。
朱里は静かに前を向いている。
「病気等は心配ありません」
一瞬、ほっとする。
そのあとに続く。
「ただ少し、黄体機能が弱い可能性があります」
“可能性”。
断定じゃない。
「高温期がやや短めですね。着床しにくい場合があります」
着床しにくい。
ゼロじゃない。
でも、簡単でもない。
俺は横を見る。
朱里は、表情を変えていない。
ちゃんと聞いている。
逃げていない。
「治療が必要ですか」
自分でも驚くくらい冷静な声で聞く。
「すぐに、というわけではありません
まだお若いですし、タイミング法やホルモン補充を併用すれば確率は上がります」
確率。
上がる。
上がるだけ。
保証じゃない。
診察室を出たあと、廊下がやけに静かに感じる。
「朱里」
「はい」
「大きな問題じゃない」
事実だけを言う。
「少し、着床しにくいかもしれないってだけだ」
“だけ”を強調する。
朱里は小さく頷く。
「そうですね」
声は落ちていない。
でも、完全に軽くもない。
外に出ると、風が冷たい。
十月。
俺は問題ない。
でも、それが何だ。
原因がどっちかなんて、どうでもいい。
子どもが欲しいのは、二人だ。
「睡眠増やせって言われた」
わざと軽く言う。
「姿勢も」
朱里が少し笑う。
「研究室、長いですもんね」
その笑い方が、少しだけ無理をしている気がして。
胸の奥がざらつく。
着床しにくい。
たったそれだけの言葉が、思ったより重い。
でも、まだ。
まだ諦める話じゃない。
可能性はある。
医師もそう言った。
まだ、選択肢は並んでいる。




