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今日は、いる。
それだけで、どこか肩の力が抜ける。
理由はない。
ただ、いつも通りだと確認しただけ。
席に着いて資料を広げる。
視線は落としているのに、
意識のどこかがカウンターを気にしている。
ふと、声が聞こえる。
篠原の声。
少しだけ柔らかい。
顔を上げる。
カウンターに立っているのは、見知らぬ男子学生。
何かを質問しているらしい。
篠原は身振りを交えて説明している。
ほんの少しだけ、笑っている。
その表情を見た瞬間。
胸の奥が、わずかにざわつく。
なんだ今の。
別に、普通だ。
司書なんだから利用者に説明するのは当然だし、
笑うことだってある。
当たり前の光景。
それなのに。
なぜか、目が離れない。
男子学生が頭を下げて去る。
篠原はまたいつもの静かな顔に戻る。
それだけ。
それだけなのに。
ページをめくる指が止まっていることに気づく。
意味が分からない。
何に引っかかった?
あの笑顔か?
いや、別に。
特別な笑い方じゃなかった。
ただの業務。
ただの対応。
それなのに。
胸の奥に、薄い膜みたいなものが張る。
居心地が、少し悪い。
…今日は、ここまででいいか。
立ち上がり、カウンターを横目に通り過ぎる。
篠原は気づかない。
いつも通り。
いつも通りなのに。
外に出た瞬間、
雨上がりの空気が冷たい。
なんだこれ。
答えは出ない。
でも確実に。
自分の内側に、何かが生まれている。




