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風呂を出て、布団に入る。
部屋の灯りを落とすと、さっきまでの空気が少し静まる。
でも、朱里は静まっていない。
「澪花ちゃん、本当に小さかったですね」
横を向いたまま、声が弾んでいる。
「ん」
「指、あんなに細いんですね。爪も、透けてて」
まだ見ているみたいに言う。
俺は天井を見たまま、相槌を打つ。
「湊さん、もうすっかりぱぱでしたね」
「そうか?」
「そうです。手慣れてました」
くすっと笑う気配。
布団が少し揺れる。
「嬉しそうでした」
「まあな」
あの顔は、確かにそうだった。
しばらくしても、朱里の声は止まらない。
「澪花ちゃん、泣き声も小さくて」
「まだ声出ないんだろ」
「そうなんですけど、なんていうか……必死で」
言葉を探している。
俺は目を閉じる。
澪花の小さな手を思い出す。
その隣で、同じくらい真剣な顔をしていた朱里も。
「悠さん、抱っこしませんでしたね」
急に向けられる。
「……様子見」
正直に言う。
「怖かったですか?」
「壊れそうでな」
本音だ。
朱里は少しだけ黙る。
「大丈夫ですよ」
穏やかな声。
「悠さん、意外と丁寧ですから」
横を見ると、目が合う。
暗いのに、ちゃんと笑っているのが分かる。
「似合ってました」
ぽつりと、言う。
「何が」
「悠さんが、あそこにいるの」
一瞬、言葉の意味が遅れる。
「……別に、何もしてない」
「してなくてもです」
また笑う。
その笑い方が、やけに柔らかい。
朱里は、もう次の話をしている。
「澪花ちゃんの服、ちっちゃくて。
ああいうの選ぶの楽しそうですね」
自然に「選ぶ」という言葉が出る。
自分たちの未来を含ませるでもなく
ただ当たり前みたいに。
俺は何も返さない。
ただ、胸の奥が少しだけ騒がしい。
「悠さん」
「ん」
「また会いに行きたいですね」
「そうだな」
短く答える。
しばらく沈黙。
でも気まずくはない。
朱里はようやく落ち着いたのか、呼吸がゆっくりになる。
俺は横を向く。
暗闇の中で、細い肩がすぐそこにある。
さっき、あの小さな手に触れていた指。
思わず、手を伸ばす。
背中に触れる。
ぴくりと反応する。
「……まだ起きてますよ」
声は笑っている。
「知ってる」
そのまま、少しだけ引き寄せる。
「今日、楽しそうだったな」
「はい」
迷いのない返事。
「澪花ちゃん、かわいかったです」
それだけだ。
子どもが欲しいとも、羨ましいとも言わない。
でも十分伝わる。
腕の中に収まる体温が、いつもよりはっきりする。
俺はまだ、はっきりと何かを言えるわけじゃない。
ただ。
あの小さな存在と、隣で笑っていた朱里が
頭の中で並ぶ。
静かに、少しずつ。
何かが形を持ち始めている気がする。




