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朱里が寝た後、
リビングでスマホをいじる。
仕事のメールでもなく、
調べ物でもない。
ただ、ぼんやり。
朱里はちゃんと段階を踏んでる。
出会って、
付き合って、
プロポーズして、
入籍して、
社会人になって。
順番は間違ってない。
早すぎることもない。
むしろ、慎重なくらいだ。
それでも、胸の奥にひっかかる。
「……早えのは、俺のほうか」
声に出してみる。
俺は安定してる。
収入もある。
環境も悪くない。
未来を考える土台はある。
でもそれは、“俺の基準”だ。
朱里はどうだ。
学生を終えたばかり。
社会人一ヶ月目。
環境が全部変わった。
なのに、文句ひとつ言わない。
「妻なんだから」とか言い出す。
それを止めたのは俺だ。
でも。
本当に止められてるか?
寝室のドアを少し開ける。
朱里は丸まって寝ている。
まだ小さい。
俺より、ずっと。
守るとか支えるとか、
そういうことばっかり考えて。
でも、逆は?
「……俺はちゃんと、待ててるか?」
焦ってはいない。
急かしてもいない。
はずだ。
でも、入籍を決めたのは俺だ。
夜間受付にしたのも俺だ。
“段階を踏んでる”と思ってるのは、
全部俺の尺度じゃないのか。
ベッドの端に腰掛ける。
少しだけ動いた朱里が、目を開ける。
「……悠さん?」
「起こしたか」
「いえ……どうしました?」
ぼんやりした声。
一瞬、迷う。
でも聞く。
「後悔してねえか」
空気が止まる。
「……何をですか?」
「俺と結婚したこと」
静かになる。
朱里はゆっくり起き上がる。
「どうしてですか」
「全部早えだろ」
「早くないです」
「私が選びました」
目が、はっきりしている。
「悠さんが決めたんじゃありません」
「でも――」
「社会人も、結婚も、私が決めました」
布団の上で、こちらに向き直る。
「悠さんは、選択肢をくれただけです」
言葉に詰まる。
「段階、踏んでますよ」
少しだけ笑う。
「だから、心配しないでください」
守ることばかり考えて、
並ぶことを忘れていた。
「……悪い」
「謝らないでください」
朱里が小さく手を伸ばす。
「私が大人になるの、待ってくれてるじゃないですか」
その言い方が、少し悔しい。
「俺が待ってるんじゃねえ」
「一緒に歩いてるだけだ」
朱里は少しだけ笑った。
「それなら、安心です」
灯りを消す。
暗闇の中で、朱里の手を握る。
段階は踏んでいる。
間違ってはいない。
でも。
“正しさ”じゃなくて、
“同じ歩幅”でいること。
それが今の俺たちだ。




