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インターホンが鳴る前から、落ち着かなかった。
「大丈夫ですよね……?」
思わず三回目の確認をしてしまう。
クッションの向き。
コップの数。
テーブルの上。
悠さんはソファに座ったまま、こちらを見ている。
「誰が来ると思ってんだ」
「だって……」
湊さんと遥花さん。
悠さんにとって、
いちばん長い時間を一緒に過ごしてきた人たち。
その二人を、“私たちの家”に迎える。
胸が、少しだけそわそわする。
ピンポン。
「き、きました」
「落ち着け」
「お邪魔しまーす!」
ドアを開けると
明るい声と一緒に、空気が一気にやわらぐ。
「おめでとうございます」
湊さんは、いつも通り静かに微笑んだ。
「ありがとうございます」
自然とそう言えた自分に、少しだけほっとする。
リビングに通すと、遥花さんがくるりと部屋を見回した。
「え、いいじゃん。広くない?」
「駅近ですよね」
「はい、桜宮駅から歩いて……」
言いながら、はっとする。
もう“私の部屋”じゃない。
“私たちの家”。
「住みやすいですよ、この辺」
湊さんが落ち着いた声で言う。
「公園も多いし、買い物も便利ですし」
「子育てとかもしやすそうだよね」
遥花さんが何気なく言ったその言葉に、
一瞬だけ視線が止まる。
子育て。
まだ、具体的には考えていない。
でも、まったく遠い未来でもない。
「……そうですね」
答えながら、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
悠さんを見る。
悠さんは特に何も言わない。
でも、否定もしない。
その沈黙が、嫌じゃなかった。
食事をしながら、他愛のない話をする。
大学のこと。
会社のこと。
桜宮の話。
ふと、遥花さんが言った。
「夜間受付だったんでしょ?」
「はい」
「ロマンチックだねー」
「同じ時間帯だったんです、告白もプロポーズも」
口にしてから、少しだけ恥ずかしくなる。
でも、湊さんは静かに頷いた。
「素敵ですね」
その一言が、妙に嬉しかった。
帰り際、玄関まで見送る。
「改めて、おめでとう」
遥花さんが笑う。
「ありがとうございます」
湊さんが、ゆっくり部屋を見渡してから言った。
「良い家ですね」
少し間を置いて、続ける。
「ここなら、長く住めそうです」
その言葉に、胸がきゅっとなる。
長く。
未来を含んだ言葉。
ドアが閉まり静かになった部屋。
「……緊張しました」
「してたな」
「ちゃんと、夫婦に見えましたか?」
悠さんは少しだけ笑って、
「夫婦だろ」
リビングを見渡す。
昼間しか行かない場所に夜行ったあの日みたいに
今日も、少しだけ大人になった気がした。
ここはもう、私の家じゃない。
“神谷家”。
その響きが、静かに胸に馴染んでいく。




