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テーブルの上に、開きっぱなしのノート。
結婚準備、と書いてあるだけで、その先が空白。
ペンを持ったまま、ため息が出た。
「……結婚の準備って、何すればいいんですかね」
横でコーヒーを飲んでいた悠さんが顔を上げる。
「急だな」
「だって、プロポーズしてもらったのに
何から始めればいいのか全然分からなくて」
指輪をそっと撫でる。
まだ少し、くすぐったい。
悠さんは少し考えてから言った。
「指輪探しと、あとなんだ?新居とか?」
「新居……」
その言葉に、胸が少し跳ねる。
現実。
ちゃんと、二人で暮らす未来。
「配属決まってからのがいいだろ?」
「でも決まるのまだ先ですし」
最終合格は出たけれど、勤務地はまだ分からない。
ヒアリングもこれから。
どの図書館になるのかも
通勤がどれくらいかも、まだ何も。
「遠かったらどうするんですか」
思わず聞いてしまう。
悠さんは、あっさり言った。
「引っ越せばいいだろ」
「え」
「俺はどこでもいいよ」
少しだけ笑う。
「お前となら」
一瞬、言葉が止まる。
簡単みたいに言うけど。
“どこでもいい”って。
それって、全部を前提にしてるってことだ。
私の仕事も。
私の配属も。
私の生活も。
全部込みで。
「そんな簡単に言わないでください」
口ではそう言いながら、声が少し震える。
「簡単じゃないけど」
「お前が働くの、俺は応援してるし」
「うん」
「だから勤務地に合わせるのは普通だろ」
普通。
その言い方が、優しい。
「……私、悠さんの近くがいいです」
ぽつりと出た本音。
悠さんが少しだけ目を細める。
「それは知ってる」
「な、なんでですか」
「顔に書いてある」
むっとする。
でも、否定できない。
配属ヒアリングで、どう答えようか。
通勤圏内がいい、と言うのはわがままかな。
でも。
「一緒に住む前提で考えていいんですよね」
確認するみたいに聞く。
悠さんは、迷わない。
「当たり前だろ」
胸の奥が、じんわり熱くなる。
結婚の準備。
きっと、書類も手続きもいっぱいある。
でも今は。
この会話が、もう準備みたいなものだと思った。
未来を、二人で決める。
ノートの空白に、ゆっくり書く。
“新居(配属決定後)”
その横に、小さく。
“一緒に住む前提”
ペンを置くと、悠さんが覗き込む。
「几帳面」
「大事なことです」
笑う声が重なる。
まだ何も決まっていないのに、
不思議と、不安はなかった。
お前となら。
その一言が、全部を支えていた。




