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さっきまで悠さんがいた場所を、つい見てしまう。
いない。
当たり前なのに、まだ少し落ち着かない。
左手を持ち上げる。
指に光る、小さな輪。
くる、と指で触れる。
まだ、慣れない。
深呼吸して、スマホを取る。
数コール。
『もしもし』
「もしもし。久しぶり」
声を聞いた瞬間、少しだけ気が抜ける。
「元気よ。そっちは?」
笑い声が返ってくる。
いつもの声。
いつもの距離。
「うん、年明けたら卒業やろ?」
指輪を、またくるりと回す。
「やけん、年始やなくて、その少し前に帰ろうかと思っとる」
胸の奥が、きゅっとなる。
でも、怖くない。
「……あんね」
指輪を親指でなぞる。
冷たいはずなのに、少し温かい。
「紹介したい人がおると」
電話の向こうが静かになる。
「うん」
喉が少し乾く。
でも、ちゃんと言う。
「ちゃんと、お付き合いしとる人」
自分で言って、少し照れる。
「うん。連れて帰るけん」
また少し沈黙。
それから、ふっと笑う声。
指輪をぎゅっと握る。
「大事な人なんよ」
小さく。
でもはっきり。
「うち、この人と結婚する」
言った瞬間、空気が変わる。
自分の中で、何かが定まる。
“結婚する”
さっきまで、ふわふわしてた言葉。
今は、ちゃんと形がある。
電話の向こうで、母の声が少し柔らかくなる。
目の奥が熱い。
でも泣かない。
「心配せんでよかよ」
そう言いながら、
指輪をもう一度なぞる。
「うち、幸せやけん」
自然に出た。
嘘じゃない。
怖さはある。
でも、それより大きい。
「じゃあ、また連絡するね」
電話を切る。
部屋が静かになる。
左手を光に透かせるように持ち上げる。
光る輪。
さっきより、少しだけ馴染んで見える。
「……結婚するんやね、うち」
呟いてみる。
胸が、きゅっとして。
でも、あたたかい。
悠さんとなら。
ゆっくり、指輪を撫でる。
帰省。
紹介。
家族。
未来。
怖いけど。
それでも。
うちは——
ちゃんと、進むけん。




