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向かいの席で、朱里が落ち着きなく右手を見ている。
くる、と回したり
外して、はめ直したり。
また、じっと見る。
「気になるなら外せば?」
そう言うと、びくっと顔を上げた。
「は、外しません」
「誰も取るとは言ってない」
「そういう意味じゃなくて……」
また視線が指に落ちる。
細い指に、昨日はめたリング。
まだ少しぎこちない。
「重いか」
「え?」
「指輪」
少し考えて、
「……重い、というか」
言いにくそうに笑う。
「現実味がなくて」
ああ。
そういうことか。
「夢じゃないかって、朝も確認しました」
「俺も」
思わず言うと、ぱっと顔が上がる。
「本当ですか?」
「本当」
「箱が空なの見て、ああ渡したんだって」
朱里が小さく笑う。
そしてまた、指を見つめる。
「……似合ってますか」
「似合ってる、昨日も言った」
「昨日は、夜でよく見えなかったので……」
立ち上がって隣に座り、手を取る。
「ほら」
指先を軽く撫でる。
朱里の肩が小さく震える。
「……慣れないです」
「何が」
「“婚約者”って」
その言葉で、こっちまで変な気分になる。
婚約者。
彼女じゃなくて。
「呼んでみるか」
「な、なにを」
「俺のこと」
「え?」
「婚約者の」
耳まで赤くなる。
「い、言いません……」
「じゃあ俺が言うか」
「やめてください!」
細い手。
指輪が、俺の手に触れる。
その感触がやけに現実的で、
少しだけ、胸の奥が静かになる。
「……朱里」
「はい」
「嫌なら今のうちだぞ」
冗談半分で言う。
真顔で睨まれる。
「嫌なわけないです」
小さい声。
でも、はっきり。
「私、ちゃんと覚悟してます」
その言い方が、昨日より少し強い。
指輪を、もう一度くるっと回す。
「でも……」
「ん?」
「まだ、ちょっとだけ」
息を吸って、
「幸せすぎて、怖いです」
変に茶化せない。
手を引いて、肩を抱く。
「怖いなら」
「……はい」
「俺がちゃんと現実にしてやる」
「どうやってですか」
「毎日」
「一緒にいる」
しばらく黙って、
朱里がそっと額を押し付けてくる。
「……慣れるまで、そばにいてください」
「離れる気ない」
まだぎこちない。
でも確かに、そこにある。
一年かけて辿り着いた場所。
これから五ヶ月で、
もっと現実になる。
その前に——
もう少し、この甘さに浸ってもいい。




