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十月の夜は、思ったより冷える。
隣を歩く朱里が、小さく肩をすくめた。
「寒いか?」
「ちょっとだけ。でも大丈夫です」
嘘だな、と思う。
本当に寒いときの声だ。
「手」
差し出すと、素直に重ねてくる。
一年。
ちょうど一年前のこの日も、
俺はここに立っていた。
同じ公園。
同じ街灯。
同じ夜。
違うのは、
隣にいる距離と、
俺の覚悟だけだ。
「なんでここなんですか?」
朱里が首を傾げる。
覚えてないのかと思って、
少し笑う。
「忘れたのかよ」
「……え」
数秒、考える顔。
それから、はっとしたように目を見開く。
「あ……」
一年前。
このベンチで
俺は言葉を詰まらせた。
“だからだろ。今じゃなきゃ、”
あのときは必死だった。
余裕なんて一つもなかった。
今は——
いや、今も緊張してる。
でも、逃げる気はない。
ベンチの前で立ち止まる。
朱里も止まる。
静かな夜。
遠くで電車の音がする。
「……一年、早かったな」
ぽつりと出る。
「そうですね」
柔らかく笑う。
「悠さん、あのとき震えてましたよ」
「うるせえ」
「私も、震えてました」
「嘘つけ」
「本当です」
少しだけ顔を伏せる。
「嬉しかったから」
胸の奥が、静かに熱くなる。
ポケットの中。
小さな箱の存在がやけに重い。
深く息を吸う。
逃げない。
「朱里」
「はい」
真っ直ぐ見る。
逃げない瞳。
一年前は、
不安と戸惑いが混ざってた。
今は違う。
「一年一緒にいて、分かったことがある」
「……なんですか?」
「俺は、お前といるのが一番落ち着く」
言葉を選ぶ。
守る、じゃない。
一緒に。
「嬉しいときも、腹立つときも、不安なときも」
「全部、隣にいてほしい」
喉が少し乾く。
でも止まらない。
「一緒にいたい」
ポケットから箱を出す。
朱里の呼吸が止まる。
小さな音。
パカ、と開く。
街灯の光に、指輪が静かに光る。
「結婚しよう」
夜が、静まる。
数秒。
朱里の目が、ゆっくり潤む。
「……同じ場所で、ずるいです」
震えた声。
「なんで」
「思い出、全部ここにあるのに」
一歩、近づく。
「だからだろ」
一年前と同じ言葉。
でも今は、迷いがない。
「今じゃなきゃ意味がない」
朱里が、笑いながら泣く。
「……はい」
小さく、でもはっきり。
「よろしくお願いします」
その言葉で、
一年分の時間が、全部報われる。
指輪を、細い指にはめる。
ぴったりだ。
「似合う」
「……はい」
照れてる。
それでも、逃げない。
そっと抱き寄せる。
去年は、
震えてる手を掴むのが精一杯だった。
今は、自然に腕が回る。
「悠さん」
「ん」
「私、好きになれてよかったです」
胸が、静かに締めつけられる。
「俺も」
同じ公園。
でも、もう始まりじゃない。
これからの場所だ。
一年後、また来るか。
そのときは、
もう夫婦だ。




