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休日の午後。
デートの途中でスマホの着信音が鳴る。
悠さんの表情が少しだけ変わる。
「今ですか?……はい、わかりました。向かいます」
仕事の声。
私の知らない、少し低い声。
通話を切って、こちらを見る。
「ごめん。ちょっと会社寄っていい?
すぐ終わらせるから近くのカフェにいて欲しい」
迷いがない。
断れない事情なのも、分かる。
「はい。大丈夫です」
笑う。
ちゃんと。
でも、ほんの少しだけ胸がざわつく。
――休みの日なのに。
会社の前のカフェ。
窓際の席から、ビルの出入り口が見える。
コーヒーはとっくに冷めている。
一時間も経っていないのに、長く感じる。
やっと。
エントランスの自動ドアが開いた。
悠さんが出てくる。
ほっとして、慌てて立ち上がる。
会計を済ませて外へ出る。
近づこうとして、足が止まる。
隣に、女性がいる。
すらっとして、ヒールの音が軽い。
距離が、近い。
「ごめんね、休みの日にわざわざ。助かった」
柔らかい声。
でも余裕がある。
「いえ、仕事なんで」
悠さんはいつもの調子。
敬語。
「この後どう?お礼に奢るよ」
一瞬、息が止まる。
奢る。
二人で?
頭の中で勝手に想像が膨らむ。
――私、待ってるのに。
足が、勝手に動く。
「あの……」
声が少しだけ上ずる。
「悠さん、終わりました?」
二人が同時にこちらを見る。
女性の視線が、ゆっくり私をなぞる。
上から、下まで。
「妹さん?」
その言い方。
胸が、ちくりとする。
悠さんが、すぐに答える。
「恋人です」
迷いなく。
はっきりと。
その一言で、少しだけ呼吸が戻る。
でも。
女性はにこっと笑って、もう一度私を見る。
その目が言っている気がした。
――勝てるな。
余裕。
完成された大人の余裕。
ヒールの高さ。
姿勢。
声の落ち着き。
私は、ぺたんこの靴。
ワンピース。
学生のまま。
一瞬、自分の手元を見る。
爪も、短い。
女性は肩をすくめる。
「そっか。邪魔しちゃったね」
「じゃあまた、神谷くん」
“神谷くん”。
その呼び方が、刺さる。
悠さんは軽く頭を下げる。
「では、失礼します」
それから私を見る。
「朱里、いくぞ」
自然に、手を取られる。
歩き出す。
女性のヒールの音が、背後で遠ざかる。
数歩進んでから、やっと気づく。
私、少しだけ強く手を握っている。
悠さんがちらりと見る。
「どうした」
「……なんでもないです」
嘘。
胸の奥が、ざわざわしている。
ああいう人が、悠さんの世界。
私は、まだ学生。
並んで歩きながら、こっそり背伸びする。
でも、身長は変わらない。
悔しい。
情けない。
それでも、隣は離れたくない。
「……悠さん」
「ん?」
言葉が、喉で止まる。
“私の悠さんなのに”なんて、言えない。
代わりに、もう一度だけ手を握る。
さっきより、少しだけ強く。
悠さんが、ほんの少しだけ笑った気がした。
気づかれているのかもしれない。
それでも。
今はまだ、言えない。




