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「そろそろ帰るわ」
立ち上がると、朱里が小さく目を見開いた。
「えっ…」
「疲れただろ?酒も入ってるし、早く寝ろ」
なるべく普通に言う。
これ以上ここにいたら危ない。
「でも…」
視線が揺れる。
「また連絡するな」
そう言って一歩踏み出した瞬間。
裾を、きゅ、と掴まれる。
「朱里?」
顔を上げる。
頬がほんのり赤い。
目が、潤んでいる。
「や、です…」
声が少しだけ甘い。
「かえらないでください」
「……っ」
「とまっていってください」
直球。
理性が一瞬で削れる。
「……お前、酔ってんだろ」
「よってないです」
でも語尾が少し柔らかい。
「ゆうさん、おねがい」
名前。
ひらがなみたいな声で。
だめだ。
「朱里」
低く呼ぶ。
「ほんとに分かって言ってる?」
「わかってます」
掴んだ裾が、さらにきゅっと強くなる。
「いま、かえられたら…」
言葉を探すみたいに、少しだけ黙って。
「さみしいです」
理性がひび割れる音がする。
「……はあ」
大きく息を吐く。
「お前な」
「そんな顔で引き止めんな」
「どんな、かおですか」
分かってない。
それが一番危ない。
「我慢してるってさっき言ったよな」
面接前、距離を取ってた。
触れすぎないようにしてた。
全部、こいつのため。
でも。
「とまってくれますか」
まっすぐ見る。
「ゆうさんが、いてくれたら、あんしんするんです」
ああもう。
片手で、そっと頬を包む。
「後悔すんなよ」
「しません」
少し笑う。
「ゆうさんが、いいです」
完全に止まる。
その言葉。
「……お前、酔ってるな」
「よってません」
むくれる。
かわいい。
かわいすぎる。
「……泊まる」
絞り出すように言う。
朱里の顔が、ぱっと明るくなる。
「ほんとですか」
「今さら帰れねえだろ」
「ありがとうございます」
ぎゅっと、腕を回される。
ゆっくり抱き寄せて、頭を撫でる。
「今日は、寝るだけだぞ」
「……うん」
少しだけ名残惜しそうに。
でも素直に頷く。
そのまま、手を引いて寝室へ。
明かりを落とす。
隣に横になる。
「ゆうさん」
「ん」
「すきです」
静かな声。
胸が、ぎゅっと締まる。
「……俺もだよ」
額に、そっと触れるだけのキス。
それ以上は、しない。
抱き寄せる。
小さな体が、ぴったり収まる。
「おやすみ、朱里」
「おやすみなさい」
数分で寝息が、静かに落ちる。
その顔を見ながら、天井を見る。
……理性、ほんとギリギリだった。
でも。
守れた。
それが、少しだけ誇らしい。




