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気づいたら、ページが止まっていた。
視線は文字を追っているのに、頭に入っていない。
疲れているわけじゃない。
ただ、ぼんやりしている。
図書館は静かだ。
人の気配はあるのに、音が少ない。
ページをめくる。
指先が少しだけ乾いている。
「神谷さん」
声。
すぐ近くから。
反射的に顔を上げる。
目の前に、彼女が立っている。
「……なんで」
言葉がそのまま出た。
「なまえ」
喉が詰まる。
彼女は少しだけ首を傾げる。
「返却のときに、学生証を」
ああ。
そうか。
「ああ……」
間抜けだ。
当たり前だ。
利用者の名前を知っているのは、仕事だ。
それ以上でも以下でもない。
「閉館時間です」
淡々とした声。
でも、どこかやわらかい。
時計を見る。
本当だ。
思っていたより時間が過ぎている。
「……すいません」
慌てて資料を閉じる。
鞄にしまう手元が、少しだけぎこちない。
彼女はそれ以上何も言わない。
急かすわけでも、笑うわけでもなく、
ただ、そこに立っている。
「ありがとうございました」
いつもの声。
さっきと同じはずなのに、
違って聞こえる。
神谷さん。
あの音の並びが、まだ耳に残っている。
立ち上がり、出口へ向かう。
夜の空気が冷たい。
歩き出してから、ようやく息を吐く。
名前を呼ばれただけだ。
それだけなのに。
なぜか、
少しだけ落ち着かない。
あの声で、
自分が特定された。
利用者じゃなく、
自分として。
たったそれだけのことが、
思ったより、残っている。




