31
秋が、いつの間にか薄くなっていた。
朝の空気は冷たく、
吐く息がわずかに白い。
図書館の窓から差し込む光も
どこか冬の色を帯びている。
「この資料、上の段ですね」
朱里が背伸びをする。
悠は一歩前に出て、本を取る。
「ん、」
「ありがとうございます」
距離が、近い。
付き合い始めて、ひと月。
大きく何かが変わったわけじゃない。
名前を呼ぶこと。
並んで歩くこと。
時々、指が触れること。
それだけ。
でも。
触れそうで触れない距離が、妙に熱を持つ。
本棚の間は静かだ。
紙の匂いと、冬の気配。
「あ、あの……」
朱里が小さく言う。
「ん?」
本から視線を上げる。
「やっぱいいです……」
「なんだよ」
軽く笑う。
「いえ、その……」
言葉が続かない。
急かさない。
ただ待つ。
朱里が自分から言うまで。
静かな呼吸。
やがて、意を決したように顔を上げる。
「し、しないんですか……?」
「なにを?」
「……き、きす、とか」
空気が止まる。
「………は?」
思考が一瞬飛ぶ。
朱里の耳まで赤い。
「だ、だって……付き合い始めてから、結構経つし……」
目が泳ぐ。
「その、えと……」
理性が揺らぐ。
悠は一歩、距離を詰める。
逃げ場のない本棚の間。
「誰に吹き込まれた」
低く聞く。
「ち、違います」
「じゃあなんで」
朱里はぎゅっと指を握る。
「……悠さん、全然してこないから」
少しだけ拗ねた声。
その破壊力。
悠は深く息を吸う。
抑えろ。
「大事にしたいからだよ」
「急ぎたくない」
朱里がゆっくり見上げる。
「……嫌じゃない、です」
その一言で。
理性が、少しだけ軋む。
「朱里」
名前を呼ぶ声が、低くなる。
「俺がどれだけ我慢してるか、分かってる?」
朱里の喉が小さく鳴る。
「……分からないです」
正直。
それがまた、まずい。
悠は壁と朱里の間に片手をつく。
触れない。
まだ。
でも距離は、もうない。
「後悔しない?」
確認。
最後の線。
朱里は一瞬迷って、
小さく頷く。
ゆっくりかがむ。
目を閉じる前の、ほんの一瞬。
朱里の睫毛が震える。
やわらかい。
思っていたより、ずっと。
短く、触れるだけ。
でも、確かに熱い。
離れたあと、呼吸が乱れる。
悠は額を少しだけ寄せる。
今度は高さをちゃんと合わせて。
「……これで満足?」
朱里は顔を真っ赤にして、
小さく頷く。
悠は目を閉じる。
理性、危なかった。
でも。
まだ大丈夫。
「次からは、俺のタイミングでいくから」
小さく言う。
朱里が目を見開く。
冬の気配が、二人の間をすり抜ける。
本棚の間は、まだ静かだ。




