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篠原が、ゆっくり息を吸う。
「……私で、いいんですか」
その言葉に、胸が強く鳴る。
予想していなかった。
断られる覚悟はしていた。
でも、これ。
視線が少し下がる。
「就活始まったら、きっと今より余裕なくなりますし」
指先がかすかに震えている。
「悠さんは、ちゃんとしてるのに」
苦笑みたいな顔。
「私で、いいんですか」
自信のなさ。
遠慮。
逃げ道を残そうとする優しさ。
悠は、少しだけ眉を寄せる。
「何それ」
思わず出る。
怒ってはいない。
でも納得できない。
「ちゃんとしてるって何」
篠原が顔を上げる。
「就活も順調で、ちゃんと将来決めてて」
「それとこれ関係ある?」
少しだけ感情が乗る。
「俺が好きなのは篠原だろ」
夜の空気が震える。
篠原の瞳が揺れる。
「余裕なくてもいい」
はっきり言う。
「余裕ないときに一緒にいられないなら
意味がない」
言葉がまっすぐ落ちる。
「ちゃんとしてるから好きなんじゃない」
少しだけ声が低くなる。
「無理してるときの顔とか」
「困ってるのに笑うとことか」
「飲み会断れなくて曖昧にするところとか」
篠原の頬が赤くなる。
「全部含めて」
息を吸う。
「篠原がいい」
逃げない。
逃がさない。
篠原の目が潤む。
涙ではない。
揺れ。
「……後悔、しませんか」
かすかな声。
悠は即答する。
「しない」
「後悔するなら、言わない」
少しだけ、息を吐く。
「今じゃなきゃ嫌なんだよ」
それは独占欲だ。
自覚している。
佐藤の存在。
春という期限。
立場のない苦しさ。
全部込みで、今。
篠原は黙る。
長い沈黙。
夜の虫の音が遠くで鳴る。
それから、ゆっくりと顔を上げる。
目はまだ揺れている。
でも、逃げていない。
「……お願いします」
小さな声。
でも、はっきり。
「私で、よければ」
胸の奥で何かがほどける。
安堵と、熱と、どうしようもない愛しさ。
「よければって何」
思わず笑う。
息が抜ける。
「篠原がいいって言っただろ」
距離が近い。
触れそうで、触れない。
「逃げんなよ」
優しく言う。
命令じゃない。
約束だ。
篠原が小さく笑う。
「逃げません」
その言葉で、ようやく。
悠は手を伸ばす。
指先が触れる。
冷たいはずなのに、熱い。
秋の夜は、少しだけあたたかい。




