表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/157

29




駅へ向かう道は、さっきより少し静かだった。


告白の余韻が、まだ空気の中に残っている。


悠は篠原の手を握ったまま歩く。


指を絡める。


逃がさないように、でも強く握りすぎないように。


篠原は少し緊張したまま、それでも手を引かない。


その事実だけで、胸の奥がじんわり熱い。


彼氏。


その言葉がまだ実感を持たない。


でも、この手の感触は確かだった。


数分歩いて、改札が見えてくる。


言わなきゃいけないことが、ひとつ残っている。


「あの、さ」


自然に出た声が、少しだけ低い。


「……はい?」


篠原が見上げる。


目が合うと、また心臓が変に鳴る。


さっき告白したのに、まだ慣れない。


「名前」


「名前……?」


きょとんとした顔。


「篠原じゃなくて、その……」


喉が少し詰まる。


なんでこんなに言いにくいんだ。


「呼びたい」


篠原の目がわずかに揺れる。


「下の名前」


そこまで言ってから、少しだけ視線を逸らす。


理由は、ちゃんとある。


佐藤が「朱里」って、

当たり前みたいに呼んでいた。


あれが、妙に引っかかっている。


自分は「篠原」。


ずっと苗字。


距離がある呼び方。


彼氏になったのに、まだ壁があるみたいで。


子どもっぽいのは分かっている。


でも。


「佐藤に呼ばれてるの、嫌だった」


ぽつりと本音が零れる。


篠原が目を丸くする。


「え」


「別に、あいつが呼ぶなってわけじゃない」


言い訳みたいになる。


でも止まらない。


「でも、俺も呼びたい」


低く言う。


独占欲。


自覚している。


みっともないとも思う。


それでも、言わずにいられない。


篠原はしばらく黙っていた。


それから、ゆっくり息を吐く。


「……朱里、です」


小さく言う。


耳まで赤い。


「呼んでください」


受け止める覚悟のある目。


悠の胸が一瞬、強く締まる。


「……朱里」


声に出す。


初めて。


思ったより、柔らかい響き。


一気に距離が縮まる。


朱里のまつげが揺れる。


「はい」


返事が、さっきよりずっと近い。


悠は小さく息を吐く。


「……悠さん」


朱里が小さく呼ぶ。


その音が、胸の奥まで落ちる。


もう一度、指を絡め直す。


さっきより少しだけ強く。


独占欲は消えない。


でもそれは、乱暴なものじゃない。


ただ、大事にしたいという気持ちの形だ。


改札の前で足を止める。


「また連絡する」


「はい」


名残惜しさが、空気に滲む。


手を離す瞬間、少しだけ寂しい。


でも今は、焦らない。


急がない。


ちゃんと始まった。


秋の夜は冷たいのに、


胸の奥だけが、静かにあたたかい。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ