156
玄関の鍵を閉める。
駅までの道も、
電車の中も、
家までの道も、
全てが静かだった。
「悠、さん」
先に入ったはずの朱里が
靴を脱がずに佇んでいる。
「……朱里?」
何を言えば良いのかわからない。
良かったな。
やっとだな。
まだ、決まってないからな。
全て違う。
何を言っても傷つけてしまう気がする。
もう、終わったと思ったのに。
あの日々を、
また、
繰り返すのか。
喜ばしいはずなのに
素直に喜べない自分がいる。
朱里がゆっくりと身体の向きを変える。
向き合って
こてん、と体重を預けられる。
「…朱里?」
返事の代わりに、背に腕が回る。
服をぎゅっと掴んでいる。
「朱里」
「わたし、だいじょうぶです」
思わず肩が揺れる。
あの日々で、何度も聞いた言葉。
何度も言わせてしまった言葉。
「…っ、悠さん、いたいです」
「っ、ごめん…」
つい、腕に力が入る。
あの頃の朱里とは違う。
わかってても、
どうにもならない。
「正直、こわいです」
朱里が小さな声で呟く。
「もし、また心拍が確認できなくなったら」
「もし、何かあったら」
「無事うまれたとしても、ずっとこわいままだと思います」
朱里の手の力が強くなる。
「でも」
小さく息を吸う気配。
胸に押しつけられた声が、少し震える。
「それでも」
服を掴んでいる指に、さらに力が入る。
「……うれしいです」
その言葉で、
胸の奥に溜まっていた何かが、ゆっくりほどける。
「こわいけど」
「でも、うれしい」
朱里の声は静かだった。
泣いているわけでもない。
笑っているわけでもない。
ただ、
やっと辿り着いた場所を
確かめるみたいな声。
「私、」
少しだけ間が空く。
言葉を選んでいるみたいだった。
「また、こわくなると思います」
「きっと、何度も」
「でも」
背中に回っている腕が、少しだけ強くなる。
「そのときは」
「悠さんに、しがみつきます」
思わず息が止まる。
「ひとりで頑張るの、やめます」
静かな声だった。
でも、
はっきりしている。
あの頃とは、違う。
あのときの朱里は、
前だけを見ていた。
止まれなくて、
振り返れなくて、
誰にも寄りかからなかった。
でも今は、
ちゃんとこちらを見ている。
同じ場所に、立っている。
「……朱里」
声が少し低くなる。
胸の奥が、熱い。
腕の中の体温が、確かにここにある。
「悠さん」
朱里が顔を少し上げる。
視線がぶつかる。
「また、」
小さく笑う。
ほんの少しだけ。
「一緒に、こわがってください」
その言葉で、
やっと理解する。
終わりじゃない。
逃げ場でもない。
やっと、
同じ場所から始められる。
ゆっくり息を吐く。
朱里の背に回した腕を強くする。
今度は、
壊さないように。
離さないように。
「……ああ」
小さく頷く。
それから、
やっと口に出す。
「一緒に、やろう」
玄関の静けさの中で、
朱里が小さく頷いた。




