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病院を出てから、朱里は一度も口を開かなかった。


外はいつもと同じ昼。


人の声も、車の音もある。


何も変わっていないはずなのに

全部少し遠く聞こえた。


玄関の鍵を開け、部屋に入る。


朱里は少し遅れて靴を揃えている。


その動きは、いつもと同じ。


リビングへ向かおうとして足が止まる。


「……悠さん」


朱里はまだ玄関に立っていた。


視線が合う。


少しだけ考える顔をする。


言葉を探しているみたいだった。


それから、ゆっくり口を開く。


「よく、わからなくて」


小さな声だった。


「さっき先生、なんて言ってました?」


朱里は困ったように笑う。


「心拍がどうって……言ってた気がするんですけど」


そこまで言って、また考える。


「でも、妊娠はしてるって」


「ですよね?」


まっすぐ聞いてくる。


さっき診察室で聞いた言葉が

そのまま繰り返される。


でも、意味が繋がっていない。


朱里はまだ玄関に立ったまま。


「悠さん」


もう一度呼ばれる。


「どういうことなんでしょう」


問いは静かだった。


不安というより、本当に分からないという声。


答えは分かっている。


さっき先生が言った通りだ。


でも、言葉が出てこない。


朱里は少し首を傾げている。


「まだ、ってことなんですかね」


小さく続ける。


「来週とかなら……」


そこで言葉が止まる。


靴箱の上の時計の秒針だけが

かすかに音を立てている。


朱里はただ答えを待っている。


意味を整理しようとしている顔だった。


答えはわかっているのに、


その言葉をそのまま口に出すことができない。


朱里はまだ何も失っていない顔をしている。


考えるより先に、腕が伸びる。


朱里の身体が腕の中で止まる。


玄関の静けさが急に近くなる。


自分の呼吸だけがやけに大きい。


朱里は抵抗しない。


ただ、動きを止めている。


数秒。


それから、小さく声が落ちる。


「……悠さん?」


何も理解していない声だった。




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