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夕飯のあと、朱里はソファの端でスマホを見ている。
スクロールしている指は動いているのに
同じ画面を何度も往復しているのが分かった。
少し前まで、よく聞いていた話題がある。
澪花が新しい言葉を覚えたとか、
転んで泣いたとか、
遥花から写真が送られてきたとか。
気づけば、最近聞いていない。
話題がなくなったわけじゃない。
ただ、朱里からは出てこない。
「そういえば」
声をかけると、朱里が顔を上げた。
「澪花が会いたがってるって」
その瞬間。
ほんのわずかに朱里の肩が強張る。
気のせいと言えばそれまでの動き。
でも、見逃せない。
「いいですね」
すぐに笑う。
いつも通りの声。
「いつにしましょうか」
スマホを置き、予定を考え始める。
断る理由はひとつもない顔。
なのに。
胸の奥が、妙にざわつく。
「来週なら私も早番の日ありますし」
視線が合わない。
言葉は滑らかなのに、どこか急いでいる。
早く決めてしまいたいみたいに。
「……無理しなくていい」
気づけば口に出ていた。
朱里が驚いたように瞬きをする。
「無理じゃないですよ」
柔らかく笑う。
その笑顔を見た瞬間、息が詰まる。
ああ、と遅れて分かる。
子どもの話をしなくなったんじゃない。
できなくなったんだ。
澪花の名前が出た一瞬だけ、生まれた沈黙。
あれが答えだ。
胸の奥に、小さな痛みが残る。
自分が連れていこうとしていた場所に、
朱里はもう立てないのかもしれない。
「……また今度にするか」
そう言うと、朱里は少しだけ肩の力を抜いた。
ほんのわずかな変化。
テレビの音が続いている。
何も変わらない夜のはずなのに、
触れてはいけない場所を知ってしまった気がした。




