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食器を洗う音が続いている。
朱里はいつも通りの姿でシンクに向かっていた。
水の音が一定で、さっきの言葉だけが浮いている。
――やっぱり、だめでした。
笑っていた。
本当に、いつもと同じ顔で。
それが胸の奥に引っかかったまま離れない。
何か言えばよかったのかもしれない。
でも、どの言葉も違う気がした。
励ましも
「次がある」も
全部、軽すぎる。
このままどこまで行くんだろうか。
子どもは欲しかったはずだ。
澪花を抱いたとき、確かにそう思った。
なのに今頭に浮かぶのは
結果じゃなく、朱里の顔。
少しずつ無理を覚えていく顔。
それを止められるのは、自分だけのはずなのに。
気づけば距離がなくなっていた。
濡れた手を避けるように、腰へ触れる。
わずかに引き寄せると朱里の動きが止まった。
「……悠さん?」
振り向いた朱里と向き合う。
何か言おうとして、言葉が出ない。
見上げる視線。
思ったより近い距離で視線が絡む。
身体がわずかに傾く。
距離を詰めようとしている自分に気づく。
何かを引き戻すみたいに。
離したら、どこか遠くへ行ってしまいそうで。
顔を寄せた瞬間、
ふと、現実がよぎる。
今日。
もう、終わった日。
期待も、可能性も、全部。
自分が何をしようとしていたのか、遅れて理解する。
違う。
そうじゃない。
これは違う。
息を吐く。
でも、離せない。
朱里は何も言わない。
抵抗もしない。
ただ、身体を預けている。
その静けさが余計に苦しい。
守りたいと思うほど、
進ませているのも自分だと分かる。
腕の力を緩めかけてやめる。
代わりにもう一度だけ強く抱き寄せた。
行き場を失った感情だけが胸に残る。
静かになったキッチンで、
離れる理由が見つけられない。




