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体温が落ちた、と聞いたときから分かっていた。
赤も見たのだろう。
それでも、朱里は普通だった。
飯も食って、風呂も入って、
「おやすみ」と挨拶する。
いつも通りだった。
背中を向ける朱里。
暗闇の中で、呼吸のリズムが少しおかしい。
気づかないふりもできた。
でも。
小さく、息が震えた。
その瞬間に分かる。
泣いている。
声を殺して。
肩が、ほんのわずかに揺れている。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
まだ一回目だ。
そう言えばいい。
「次がある」と言えばいい。
でも。
今泣いているのは、
一回目だからじゃない。
期待したからだ。
人工授精なら、違うかもしれないと。
身体が応えてくれるかもしれないと。
その“かもしれない”が、今日、消えた。
そっと、腕を伸ばす。
背中に触れる。
細い。
思ったより、ずっと。
腕を回す。
強くしない。
ただ、包む。
一瞬、体がびくっとする。
それから、少しだけ預けてくる。
喉の奥で、小さく音がする。
声を我慢している。
それが、余計にきつい。
何か言おうとする。
喉まで出る。
――もうやめよう。
そこまでしなくていい。
子どもがいなくてもいい。
俺は、お前といられれば。
でも。
言えない。
今泣いているのは、
欲しいからだ。
諦めていないから。
ここで俺が止めたら、
朱里は自分の気持ちごと否定されたと思うかもしれない。
それが怖い。
腕に、力が入る。
せめて、これくらい。
言葉の代わりに。
俺は、どこまで連れていくつもりなんだ。
この先、もっと削れるかもしれない。
それでも。
泣いている今は、まだ欲しがっている証拠だ。
止めるのは、まだ早い。
泊まりだった日。
間に合わなかった夜。
全部、頭をよぎる。
言葉にならないまま。
俺は、何も言えない。
ただ、抱く。
泣いているうちは、まだ壊れていない。
そう自分に言い聞かせながら。
本当は、
今すぐやめさせたいくらい、
怖いのに。




