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ソファに並んで座っている。
テレビはついているけれど、二人とも見ていない。
人工授精。
あの単語が、部屋のどこかに残っている。
「朱里」
呼ぶと、すぐに振り向く。
「はい」
いつも通りの返事。
でも、少しだけ身構えているのが分かる。
「……本当は、どうしたい」
少し間を置いてから言う。
「え……」
戸惑う顔。
「金のことも、時間も」
言葉を選ぶ。
「俺のこともなしにして」
視線を逸らさない。
「朱里はどうしたい?」
静かに聞く。
背負わせたくない。
遠慮も、気遣いも、責任も。
全部一回外して。
ただ、本音を。
朱里は黙る。
すぐには答えない。
膝の上で指が絡む。
考えている。
ちゃんと、自分の中を見にいっている。
「……結果が、欲しいです」
小さいけれど、はっきりした声。
誤魔化さない。
綺麗な言い方もしない。
ただ、それだけ。
結果。
子ども。
未来。
全部を含んだ一言。
胸の奥で、何かが落ちる。
怖さもある。
金も、時間も、仕事も。
現実は消えない。
でも。
今聞いたのは、本音だ。
「ん……」
小さく頷く。
迷いはない。
「やろう」
決意表明みたいな言葉はいらない。
大丈夫とも言わない。
できるとも言わない。
ただ、一緒に進む。
朱里がゆっくり顔を上げる。
少しだけ、目が潤んでいる。
「いいんですか」
確認みたいに聞く。
「俺が聞いた」
それだけ返す。
決めたのは二人だ。
押し付けてもいない。
背負わせてもいない。
ソファの距離が、少しだけ縮まる。
人工授精。
意味を背負った夜は、もうすぐ役目を終える。
それでも、
二人で決めた未来だ。




