第59話 ラブボート
ブリッジには張り詰めた緊張が満ち、ヒルダの言葉が空気を震わせた。
「木星に亡命者を運ぶ、しかも嫡流の侯爵令嬢だ。そんなヤバい荷物――先方と話が付いてると、嘘でもつかないと……誰も引き受けちゃくれないじゃないか!」
ヒルダは髪を振り乱し、声を震わせる。
「お嬢を逃がすためには……こうするしかなかったんだ」
「ヒルダ……」
リシュアは一度ヒルダに視線を向け、そして――ゆっくりと、こちらを見た。
「のう、レイ。もしマフィアの報復とやらがあるのなら……やつらの手に渡る前に、お主らの手で引導を渡してはくれぬか。儂も、恐らく無事では済まんじゃろう」
揺らぎのない決意を秘めた瞳。死を受け入れた少女の眼に怯えはなく、成り行きとはいえ、己の境遇を受け入れた貴族の覚悟があった。さすがは高位貴族の嫡流、この短かいやり取りで当たり前のように死を覚悟している。
――腹の座り方がはんぱじゃない。
「なあ、レイ。何とかしてやれないのか」
黙って成り行きを見守っていたセルゲイが、縋るような目をこちらに向けた。その視線を受け、俺は一つ大きく頷く。
「中佐、この件、俺に預けてはもらえませんか」
通信モニターに視線を向ける。画面の中で、マクシミリアン中佐が探るように目を細めた。
「……なかなか、興味深いやり取りだった」
そう言って、中佐は薄く笑った。
「レイ。君の中では、既に結末は用意されているのだろう? それでも、このやりとりをする必要があった。全員が事の重大さを理解し、そして覚悟を決めるための――言わば、儀式のようなものだ」
「ええ」
中佐の言葉を噛みしめるように、ゆっくりと頷く。確かにこれは、確認のための時間だった。
「大丈夫だ。既に根回しは終えている。政府は、リシュアーナ嬢の亡命などあずかり知らんと言うだろう。ただし、公安諜報局と軍情報部が関与した形跡を残す。そうしておけば、マフィアに疑われることもないはずだ」
この人は一体、どこまで先を見通しているのだろう。この人もまさか、リシュアと同じ……前世ではニュータイプ、こちらではネオセンスと呼ばれる新人類なのか。
「さすが中佐、相変わらずの手際の良さです。ありがとうございます」
「この出迎えの艦隊も、もちろんその”形跡”の一つですからね」
ロゼリー少尉の、底抜けに明るい声が続いた。
相手は軍人だ。あくまで軍の利益のため、組織の意向に従って動いているに過ぎない――それでも、この男の言葉なら信用できる。そう思わせるだけのことを、彼はこれまでにしてきた。
「ふふ、優秀な手駒に恩を売っておくのは、私にとっても益のある事なのでね。この程度の事ならお安い御用だ」
そう言って中佐は珍しく、人間味のある柔らかな笑みを浮かべた。
「ふふふ、どうですか、レイ君。あれから中佐も成長したのですよ。それもこれも、あたしの教育が行き届いているからであります。ね! 中佐」
横から割り込んできた少尉の軽口に、中佐は小さく肩をすくめる。
「まあ、そういうことにしておこう」
なんだかこの二人、あれから随分と雰囲気が良くなってる。ひょっとして、デキてるのか?
「それと、二人の処遇ですが」
「レイ、君に任せる。気の毒なほどにお人好しで真面目な男だ、信用している」
「ありがとうございます」
その言葉が告げられた瞬間、ブリッジ全体の空気がふっと緩んだ。張り詰めていた緊張が、目に見えない波となって解けていく。
ヒルダはその場に崩れ落ちるようにして床へとしゃがみ込み、両手で顔を覆った。堪えていた感情が一気に溢れ出したのだろう、肩を震わせ、静かに涙を流していた。
「レイ、すまぬの。これからも迷惑をかけるやもしれぬが、この恩には、この身をもって――必ず報いよう」
リシュアは真っ直ぐにこちらを見据え、深く頭を下げた。
「なんですって!」
聞き慣れた甲高い声と同時に、右腕に柔らかな感触が絡みつく。サーシャが慌てた様子で、俺の腕にしがみついていた。
「リシュア、あなたはまだ子供でしょう? お願いだから、そっちには連れて行かないでちょうだい」
「大丈夫だ、サーシャ。リシュアは、そういう意味で言ったんじゃない」
「いや、まあ……まだ儂は子供じゃが……」
そう前置きしてから、リシュアは頬を朱に染め、もじもじと視線を伏せる。
「成人してからならば、のう。レイが求めるのであれば――」
「……ほら」
サーシャは小さく息を吐き、それから肩をすくめた。
「まあ、レイだからね。リシュアが成人して、その時お互いにその気があったなら……そうね」
一瞬の間を置いて、片目をつむってみせる。
「リシュアだったら、許してあげるわ」
「レイ、俺も――ヒルダとここに置いてもらえるだろうか」
そんなやり取りの中、不安げな顔で口を開いたのはセルゲイだ。
「もちろんだ。リシュアの護衛も考えれば、俺だけじゃ心もとない。陸戦のプロが居てくれると助かる。夫婦になっても力になってくれ、たのむ」
サーシャを押しのけて立ちあがり、キャプテンシートの脇まで来たセルゲイに向けて右手を差し出す。彼は力強く握り返し、すぐさま手を解いてヒルダの元へ向かった。
「ふむ、ならこれで一件落着。それでいいな、レイ」
「はい」
画面越しに聞こえた中佐の言葉と同時に、サーシャを除く全員が頭を下げる。少尉の可愛らしい笑顔を最後に映し出し、通信用のホロモニターが消滅した。
「さすがレイ! あたしが見込んだ男だけのことはあるわね。ほら、ヒルダ! 跪いて、お礼の一つでも言ってみなさいよ!」
床に崩れ落ちるように蹲り、セルゲイに背中を撫でられていたヒルダが、無言のまま立ち上がる。キャプテンシートの脇へと歩み寄るその姿に、サーシャは思わず道を空けた。
「キャプテン……申し訳ありませんでした。そして……ありがとうございます」
崩れ落ちるように膝をつき、背中を震わせ、声を詰まらせる。
「お、おい、ヒルダ、やめてくれよそんな……」
「なにやってんのよばかヒルダ! そんな馬鹿正直に土下座なんてしてんじゃないわよ。ほら、いつも通りにしなさいよ。そんな姿を見せられたら、あたしまで泣けてきちゃうじゃない! もう!」
俺の言葉を遮るようにサーシャが駆け寄り、土下座するヒルダに覆いかぶさるように抱きついた。なぜか二人揃って、大声を上げて泣き出す。
「……ほんと、この二人、似た者同士だよな」
セルゲイがぽつりとこぼす。
『うるさい! こんなバカ(筋肉)と一緒にするな!』
顔を上げた二人が、声を揃えて抗議した。
その様子に、俺は両手を小さく広げて肩をすくめ、セルゲイへ視線を向ける。互いに目を合わせて大きく頷き、同時に苦笑した。
すると、リシュアが神妙な顔をして、目の前に立った。
「レイ。さっき言った金のことじゃが……」
少し間を置いてから、リシュアは続けた。
「儂ら二人、お主にすべてを預けるつもりじゃ。どうか、受け取ってくれぬか」
真っ直ぐに目を合わせ、懇願するように言った。
「今の儂には、お主らの恩に報いる方法が、それしか思い浮かばぬ。いや……むしろ、それしかないのじゃ」
そう言って、唇を噛みしめる。
「リシュア。君ほど高い素質を秘めた観測員はいない」
俺はリシュアの目を見つめて、静かに言った。
「俺は君たちを保護したのではなく、新しいクルーとして雇い入れたんだ」
リシュアは目元を潤ませ、じっとこちらを見つめている。
「これだけ恩を売っておけば、途中で辞めたりはしないだろうしね」
そう言って薄く笑い、片目をパチリとつむった。
「それに、ヒルダもあんなだが……元騎士の強化人間だ」
少しだけ間を置き、今度はヒルダの方へと目を向ける。
「セルゲイと二人、保安要員として十分に頼りになる。報酬を払うのは、むしろこっちのほうだ。金なんてもらえないよ」
「レイ……お主……」
リシュアの瞳がみるみる涙に満ち、やがて溢れて頬を伝う。
「そのお金は、大事に取っておきなさい。こういう仕事だ、いつどこで何があるか分からない。いざという時の蓄えにするんだ。先々で、どうしても使いたいことができたなら……その時に使えばいい」
感極まったのか、リシュアは大きく顔を歪め、大声をあげて泣きながら抱きついてきた。思わず抱き止め、その頭を抱えるようにして、ゆっくりと撫でる。
「それに、君はまだ子供だ。子供は子供らしく、大人に養われていなさい」
そこへサーシャが静かに歩み寄り、俺の頭の上に手を置いた。ふわりと嗅ぎ慣れた香水の香りが、リシュアのそれを上書きする。そして同じように、ゆっくりと撫でてきた。
「あんた、ほんと底抜けのお人好しだけど……」
小さく息を吐いて、微笑む。
「……いい男よね」
その声に顔を上げると、彼女はそのまま距離を詰め――唇を重ねた。
こうしてムラサメは、リシュア、ヒルダ、セルゲイの三人を新たなクルーとして迎えることになった。道中は軍のエスコート付きであり、安全は保障されている。
皆それぞれ自室へと戻り、いつものように愛を囁き、温もりを確かめ合う。
目的地は衛星カリスト。ムラサメは何事もなかったかのように、星の海へと滑り出していった。
*****
「のう、ハル。この船の名じゃが……ムラサメよりも『ラブボート』のほうがしっくりくるのではないか?」
ブリッジに一人残されたリシュアが、天井へ向けて声を投げた。
「宇宙という本来であれば人が生存するなど考えられない過酷な環境、そして傭兵という生死を賭けた生き様。その中で、子孫を残そうという本能が強く働いても不思議ではありません」
ムラサメの管理運用AI――ハルは、そう優しく言葉を返す。
「どうりで……儂の心にも――どうやら少し、その本能とやらが首をもたげてきたようじゃ」
リシュアは気恥ずかしそうに視線を伏せ、指先をもじもじと動かした。
「そうですか。リシュアの歳であれば、既に繁殖の準備はできているのかもしれません」
ブリッジに、落ち着いたハルの声が響く。
「しかし、やはりまだ若すぎます。生殖による肉体への負荷を考慮するのであれば、もうあと五年、いえ、六年ほどは待つべきかと思います」
「ながいのぅ」
思わず漏れた呟きと、わずかな沈黙。
「なに、過ぎてみればあっという間ですよ」
続いて聞こえたハルの声は、相変わらず穏やかだった。
「それまでに、ご自身の気持ちが本物かどうか。しっかりと向き合うことをお勧めします」
一拍置いてから、声の調子がわずかに引き締まる。
「それと、ラブボートという名称ですが――それは断じて許容できません」
即座に、はっきりとした拒絶が告げられた。
「たとえそれが、レイの命令であったとしても――断固拒否します。二度と言わないでください。この船に対する侮辱です」
「す、すまぬ……ハル」
リシュアはしょんぼりと肩を落とした。
「いえ」
間を置かず、ハルの声が続く。
「そうした発言をしてみたくなるのは、思春期におけるホルモンバランスの変化に起因するものです」
どこか諭すような……ゆっくりとした調子で言葉を落とすハル。
「人はみな、そうやって大人になっていくのですよ、リシュア」
その声には、まるで――母性が宿っているかのような温もりがあった。
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