第58話 真っ赤な嘘
目前を、鈍色の巨塊が音もなく流れていく。恒星光を受け、金属質に鈍く輝く小惑星。艦はその脇を、猛烈な速度で駆け抜けた。ブリッジの窓を覆っていた装甲板が開放され、遮るもののない宇宙が視界に広がる。
アステロイドベルト帯。数百万とも数千万とも言われる無数の小惑星が円を描くように漂う宙域だが、広大な宇宙空間の中にあっては、それらも広大な砂漠に点在する小石ほどの密度にすぎない。
前世の記憶にあるSFアニメの宇宙は、神秘的で、どこまでも美しかった。だが、眼前に広がる現実は違う。遠くに冷たい光点がぽつりと浮かぶだけの、圧倒的な虚無の世界だ。天体が密集していると言われる宙域ですらあまりに殺風景で、ロマンの欠片すら感じられない。
上も下もない、果てなき闇。それは、深海の底へと吸い込まれていくような、冷たい恐怖と不気味さを孕んでいた。
背後で空気の抜けるような音が鳴り、ブリッジの入口ドアが静かにスライドする。振り返ると、ちょうど男女の二人組が入室しようとしているところだった。中にいた三人の視線が、自然と二人に集まる。
男はバツの悪そうな顔で頭を掻き、身を小さくするようにして歩き出す。一方の女は実に堂々としたものだ。すべてを発散しきったのだろう、晴れやかな笑顔を浮かべている。そのまま颯爽と通路を抜け、俺の目の前――リシュアの横、通信士のシートに腰を下ろした。
「お似合いだから、いつかは――とは思っていたけど、意外と早かったな。ヒルダ、誘ったのは君からか?」
黙っているのも、なんとなく気まずい。俺はそう言って、目の前の席に腰を下ろしたヒルダに声をかけた。
「ああ。トレーニングルームで組み手の相手をしてくれって頼んだらさ、こいつ、化け物みたいに強くてね」
ヒルダは肩をすくめ、楽しそうに続ける。
「そしたらほら、あたしの女がキュンときちまって……その場で押し倒したら、ハルに怒られたんだわ」
「あたり前です」
天井から、ハルの柔らかい声が落ちてくる。
「生物である以上、牡と牝が発情すること自体に口出しするつもりはありません」
そう言ってひとつ呼吸を置き、続けた。
「しかしながら、公共の場で突然行為に及ぶことは、安全な航行を継続するために不可欠な『艦内秩序の維持』という観点から、到底容認できません」
ヒルダは笑って手をひらひらと振る。
「こんな感じでなんか難しいこと言われてさ。だから、とりあえず部屋に引きずっていったわけさ」
「……まあ、お互いに合意の上なら、俺がとやかく言うことじゃないが」
そう前置きした直後、ヒルダはますます調子づいた様子で、左肘を肘掛けに乗せて身を乗り出す。親指で背後のセルゲイを指し示し、にやりと笑った。
「合意も合意、相性抜群だぜ。こいつ、こんなゴツいなりしてさ。あたしなんかよりずっと強いくせに、ベッドの上じゃ涙流してヒーヒー言ってやんの」
「なっ、おまえ! みんなの前で、なんてこと言いやがる!」
セルゲイは顔を真っ赤にして振り返り、抗議するように鋭い視線を向けた。
「うるさいよ」
ヒルダが一言で制す。
「その先が傑作なんだ……最後になんて言ったと思う? 真面目な顔してさ、『僕を婿に貰ってください』だって。笑わせるだろ」
セルゲイは言葉を失い、口を開いたまま固まった。隣のリシュアは目頭を押さえ、呆れたように大きく息を吐く。
すると、つまらなさそうに指を弄んでいたサーシャが、弾かれたように顔を上げた。目を輝かせ、ヒルダに視線を向ける。
「うわー! すごい、それプロポーズじゃない! で、ヒルダ、返事は?」
「ふふ……しょうがないからさ。貰ってやることにしたよ」
「えー、すごい! なんか凄い偶然、運命を感じるわ。ロマンチックねえ、レイ!」
サーシャは飛び上がるように両手を胸の前で合わせ、羨望の眼差しを向ける。
「……もういい。勝手にしてくれ」
俺はそう言ってシートに深くもたれ、盛大にため息をついた。そして、がっくりとうなだれるセルゲイをちらりと見やる。
お互い嫁で苦労しそうだな……
まあ、惚れた弱みだ。そんな悩みがあるだけでも幸せなのかもしれない。
宇宙の片隅で暮らす人間の、取るに足りない人間ドラマが繰り広げられている間にも、船は凄まじいスピードで宇宙を航行していた。
「キャプテン、まもなくアステロイドベルト宙域を離脱します」
ハルのアナウンスに続き、観測員席からレーダー画面を操作するリシュアの報告が入る。
「お出迎えじゃな。外縁警備群――FSGのパトロール艦隊のようじゃ。巡洋艦二、駆逐艦八、ガンボート級一二隻」
直後、ヒルダの席にあるコンソールにオレンジ色のランプが点滅した。
「なんだ?」
ヒルダの声に応えるように、天井からハルの声が降ってくる。
「前方の艦隊より通信です」
「ああ、繋いでくれ」
メインモニターの下部に通信用サブモニターが展開され、そこに見慣れた女の顔が映し出された。満面の笑みで、こちらに向けて手を振っている。
「レイさーん、サーシャさーん。迎えに来ましたよー!」
映っていたのは、小柄で胸の大きい、おっとりした雰囲気の若い女――協商連合宇宙軍情報部第三情報局第四室室長、マクシミリアン中佐の副官、ロゼリー少尉だった。
「レイ。協商連合は自由だと聞いておったが……さすがに軍人でこれはどうなのじゃ」
リシュアが前を向いたまま、ぼそりと呟く。
「ああ、さすがに軍はもう少しちゃんとしてるよ。この人は……ちょっと特別だ」
「おひさしぶりー」
サーシャが能天気に手を振り返すのを横目に、ヒルダが吐き捨てるように言った。
「どうして木星の連中は、こうも軟弱なやつばっかりなのかねぇ」
「セルゲイも木星人だぞ」
そう返すと、ヒルダは一瞬だけ目を見開き、そして何かを思い出すように視線を細める。
「あいつは別格さ。なんせ、あたしより強い男だからね。しかも四時間で一八回だ。まるでマシンガンのような男だよ。強化人間とはいえ、あんなのは初めて見た」
「……なにがだ?」
「あのさ、キャプテン。わかってて聞いてるだろ。そういう男は嫌われるよ」
そう言い残し、ヒルダはふいとそっぽを向いた。
四時間でそれだけ搾り取られれば、さすがにヒーヒー泣きたくもなるだろう。ヒルダの魔手がこちらに伸びてこなかったことに、心の底から胸をなで下ろす。そして、彼女のハートを射止めたセルゲイに、心の底から感謝した。
もし、セルゲイと出会うことが無く、組手に誘われたのが俺だったら――そう想像しただけで、背中に冷たいものが流れる。
「室長はちょっと用事がありまして、私が迎えに来ました。とりあえず、回線は繋がってますので――」
スピーカーからロゼリー少尉の明るい声が流れ、モニターの向こうで下を向き、何かを操作する。
「えいっ……よし、室長もはいりまーす」
かけ声と同時に、メインモニターの下にある通信モニタが二分割になる。向かって左側に、眉間に皺を寄せたまま腕を組むマクシミリアン中佐が映し出された。
「中佐、お久しぶりです。早速ですが――」
リシュアの処遇について切り出そうと口を開いた、その途中で、遮るようにしてマクシミリアンが口を開いた。
「レイ、君の報告は読ませてもらった。その上で、調査本部を通じて政府に確認を取った」
一拍置き、重い口調で続ける。
「だがな……リシュアーナ嬢の亡命について、我が国は一切感知していない。軍情報部、政府の諜報局の双方にも問い合わせたが――まったくもって、寝耳に水だそうだ」
「どういうことだ?」
自然と、この亡命をおぜん立てした逃がし屋、ヒルダに視線が向かう。
「すまない……レイ。木星に話が通ってるってのは真っ赤な嘘だ」
その告白を聞いて、思わず大きなため息を一つついた。ここまで来たのだ、今さら責めてもどうにもならない。そこへ、サーシャが凄い剣幕でヒルダを睨みつけた。
「あんた! 何をやったか分かってる?」
「だからすまないと……煮るなり焼くなり好きにすればいい。ただ、リシュアーナ様だけは」
「まつのじゃ、ヒルダ」
リシュアが割って入る。
「のう、レイよ。いや、キャプテン。違約金を払おうではないか。儂の口座に五臆ある、これでどうにか、の?」
「あのね、そういうことを言ってるんじゃないの。レイはね、ここまで連れてきて、話が違うからって放り出すようなことはしないわ」
そこで一度話を切り、立ち上がってヒルダの席に向けて歩き出す。
「いい、ヒルダ。あなたは、あたし達ではなくマッケル・ザハヴに嘘の依頼を出したの。わかる?」
ヒルダの胸倉を掴み、無理やり立ちあがらせる。強化人間のヒルダが抵抗すれば力で叶うはずがないのだが、彼女は黙って無抵抗のまま立ち上がった。サーシャは鼻先まで顔を近づけ、静かに声を落した。
「マッケル・ザハヴはあなたの依頼内容を元に、私たちに仕事を出した。つまり、マッケル・ザハヴがあたしたちに嘘をついたことになるの。あなたは、宇宙最恐のマフィアの顔に、泥をぬったのよ」
「そ、そんなあたしは……」
顔を引きつらせて、言葉を発しようとするヒルダ。
「あなた、死ぬ事も許されないわよ。お願いだから殺してくれって、泣き叫びながら懇願するような目に遭うわ。丈夫な強化人間になったことを、これから何十年も後悔し続けるのよ」
「だって、こうするしかなかったんだよ!」
ヒルダはサーシャの手を振り払い、髪を振りながら叫んだ。そしてコンソールに手を付いて、肩を震わせていた。
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