春を待たない人々。
冬の終わりが近づいていた。
空気の匂いが少しずつ変わり、霜の粒が溶けるのが早くなった。
風のなかにも、かすかに“土の匂い”が混じっている。
けれど、村は静まり返ったままだった。
「……あの家も、空っぽになったにゃ」
ノラが、ぼくの肩の上でぽつりとつぶやいた。
「北のはずれの三軒長屋、今朝、荷車が出てったにゃ。
あれで、村に“暮らしてる人”はいなくなったにゃ」
ぼくはただ風を受けていた。
でも、空気が――どこか軽くなっていた。
“誰かの生活”が、もうここにはない。
それは、火の匂いも、食べものの湯気も、声も――すべてが止まったということだった。
ノラが、小さく目を閉じた。
「にんげんって……春を待たずに、出ていくんだにゃ」
「春が来れば、土もゆるんで、風もやさしくなるのに。
それでも……待たずに行くんだにゃ」
風がふいた。
畑の隅に積もった雪が、ぽろりと崩れる音がした。
「昔は、この村でも“春の支度”ってのがあったにゃ」
「種の選別、道具の修理、井戸の掃除……そういう音が、今ごろは聴こえてたにゃ」
でも、今は音がない。
どこからも、土を踏む足音がしない。
それが、とても静かだった。
「……サエ」
ノラが、ぼくの肩に顔をうずめるようにして言った。
「ぼくたちだけが、春を待つにゃ」
「もう誰も、“春”を迎えることはないかもしれないけど……
でも、ぼくたちは、“待つ”ことができるにゃ」
その言葉は、命を育む者の声ではなかった。
ただそこに“残された者”の声だった。
ぼくは、かすかに笠を揺らした。
それは風のせいだったのか、心の揺れだったのか、わからない。
空は、もうすぐ白む。
けれどその白さは、夜が明けることの証ではなく、
人の営みが過ぎたあとの静けさだけを照らしているようだった。
この回は、“生活”の消滅を描く回です。
人の気配、音、火、食事――あらゆる“暮らし”が途絶え、
村という場所が、ただの“風景”へと変わっていく。
それでもサエとノラだけは、春を“迎える”のではなく、“待つ”。
誰かが来るのではなくても、“待つ”ことが存在の意味になるのです。




