第7話
仕事が増えて、家に入るお金も増えた。
中古ではない教材を買ってもらえるようになった。外食が増えた。お母さんが欲しがっていた家具を買った。お父さんは、残業を減らした。
最初は嬉しかった。家族で過ごせる時間が増えると思ったからだ。
けれど、お父さんが早く帰ってくる日には、私が撮影でいなかったり、帰ってきても次の日の台本を覚えなければならなかった。
まぁ、しゃーないしゃーない。今は頑張る時期なんだろう。自分で始めたことだし。そう思っていた。
「これ、受けられない?」
お母さんが新しい仕事の話を持ってきたので、私は予定表を見る。
「その日、氷華と遊ぶ約束してる」
「別の日にしてもらえないかな」
「この前も変えてもらったよ」
「でも、せっかく声をかけてもらったんだし」
お母さんは困ったように笑った。困らせたいわけではなかったので、私は頷いた。
氷華に連絡すると、「分かった、頑張ってね」と言ってくれた。
次の約束も、その次の約束も、そう言ってくれた。
お父さんが仕事を辞めたのは、その年の終わりだった。
「送り迎えもできるし、ライカのことを手伝えるから」
そう説明された。確かに助かる。お母さん一人に負担がかかるのもよくない。ただ、これから家のお金はどうなるんだろう、と思った。
「私の仕事、なくなったらどうするの?」
「そんなこと言うなよ」
お父さんは笑った。
「これだけ頑張ってるんだから、大丈夫だって」
何が大丈夫なんだろう。私は笑わなかったが、お父さんは気づかなかった。
いつから変わったのかは、よく分からない。だけど、中身が成人である私には、お父さんとお母さんがどういう風に変わったのかは分かった。認めたくはなかったけど。
これって、私のせい?私が頑張ったせいだ、とは言えないんじゃないだろうか。
でも、私のせいだ、とも言える。だって私は変わり者の子供だった。ライカの中に入っていたのは成人男性の精神だ。そんな私は幼少期に普通の子供のように両親と、健全な関係を築けていただろうか?
築けていたとは思う。非常に仲は良好だった。だって私はわがままなんて言わないし、お手伝いなんかも積極的にした。 でも、困らせないことばかり考えて、困ったときに頼るようなことはしてこなかった。
私がテレビに出ると、お父さんは相変わらず喜んだ。でも、前みたいに何度も見なくなった。代わりに、次はいつ出るんだ、と聞くようになった。
お母さんは私の服や髪をよく見ていた。少しでも変だと直してくれたし、怪我をしないように何度も注意した。でも、眠いと言うと、車で寝なさいと言った。疲れた~って言うだけで、みんな頑張ってるんだからと言われた。
「今日、褒められたよ」
「そう。じゃあ、また呼んでもらえるかな」
そういう会話が増えた。仕事で失敗すると、私はまず、次の仕事がなくならないかを考えるようになった。私だけなら別によかった。駄目なら別のことをすればいい。勉強だってできるし、前世の知識だってある。けれど、私の仕事がなくなったら、両親が困る。それが嫌だった。
自分から始めたことだ。私がギターを欲しがらなければ、お父さんは今も会社に行っていただろう。お母さんも、私の予定を埋めようと必死にはならなかっただろう。だったら、もう少し頑張らないといけない。そう考えていた。
「ライカ、最近楽しくなさそう」
中学校に上がり大人びて益々綺麗になってきた氷華と久しぶりに遊んでいると、そう言われた。
「そう?」
「うん」
「眠いだけだよ」
「いつも眠いって言う」
そうだったかもしれない。氷華は私の顔をじっと見た。
「お仕事、嫌なの?」
「嫌っていうか……」
疲れた、と言いかけて、やめた。
嫌な仕事ばかりではない。撮影が上手くいけば嬉しいし、褒められれば嬉しい。仲よくしてくれる人もいる。というより結構現場では可愛がられるので、最近は現場にいるのが息抜きのようにも感じている。
事務所に頼めば、仕事を減らすことくらいはできるだろう。実際、マネージャーにも忙しすぎないかと聞かれたことがある。 でも、その場では大丈夫だと答えた。帰ってから両親に説明することを考えると、そっちの方が面倒なことになる、と感じた。
ただ、休みたい。休んでもいいよと言ってほしかった。
けれど、それを氷華に言ってどうするんだろう。子供に、家計や両親の話をしたところで困らせるだけだ。中身は私のほうがずっと大人なのだから、自分でなんとかするべきだ。
「大丈夫。ちょっと忙しいだけ」
私は笑ってそう言ったが氷華は笑わなかった。
「じゃあ、今日は何もしなくていいよ」
「え?」
「ここにいていいから」
その言い方が、妙に優しかった。私は少し黙ってから、頷いた。二人で、氷華の家のソファに座っていた。テレビはついていたが、何をやっていたのかは覚えていない。
気づいたら寝てしまっていた。
両親と外食に出かける予定だった日にも、仕事が入った。
私の15歳の誕生日だった。
もう、誕生日だからとはしゃぐような年齢ではない。少なくとも、私はそう思っていた。それでも三人で食事をする約束は、少し楽しみにしていた。
「ごめんね。終わったらお店に来られる?」
お母さんに言われて、私は頷いた。
撮影は長引いて、終わったときには、三人で予約していた時間は、とっくに過ぎていた。スマホを見ると、お母さんから写真が届いている。
数年前なら手が届かなかったであろう高級時計を身につけたお父さんが、高そうな料理を前に笑顔でワインを飲んでいる。
『先に食べてるね。冷蔵庫にケーキ入れてあるから、帰ったら一緒に食べようね』というメッセージが届いていた。
しばらく画面を見ていた。別にいい。2人で楽しむ時間があってもいい。仕事もしてないんだから私のために少しは待っててよ、なんて、思っていない。
そう考えてから、私って何のために頑張ってるんだっけ、とふと思った。
撮影が終わったことを連絡すると、お父さんが迎えに行くと返信してきた。
『お酒、飲んでない?』
『もう抜けたから大丈夫』
そんなわけないだろう。店から直接、車で来るつもり?電話をかけたが、出ない。お母さんにもかけたがそちらも出なかった。近くにいた事務所の人に事情を話して、マネージャーの車で送ってもらうことになった。両親には、迎えはいらないと送っておいた。
返信は来なかった。車に乗って、膝の上のスマホを何度も見る。
家に着く前に、電話が鳴った。知らない番号だった。出ると、知らない人の声がした。
お父さんの名前を言われた。お母さんの名前も言われた。事故、という言葉を聞いた。私は途中からマネージャーにスマホを渡した。自分で話を聞かないと、とは思ったが、何を聞けばいいのか分からなかった。
さっきまでは少し怒っていて、帰ったら何か言おうと思っていた。
飲酒運転なんてやめてほしい、とか。今日くらい待っていてほしかった、とか。もう少し休みたい、とか。言いたいことは、たくさんあった。
病院で二人に会ったときには、どれも言えなくなっていた。最近越してきた新築のマンションに帰ると、冷蔵庫にケーキが入っていた。箱を開けたら、私の名前が書いてある。
ちゃんと買ってくれていたんだ、と思った。買ってくれていたのに、とも思った。
私はケーキを取り出して食べ始めた。切り分けるのも面倒で、そのままフォークを入れる。
お父さんにも、お母さんにも、もっと私を見てほしかった。
変わってしまった両親だけど、死んでほしいなんて思うわけなかった。




