42 悪霊は、悪人になれない
「大丈夫か、ニーナ! 怪我は!?」
気がつくと目の前に、真っ青な顔をしたレオがいた。
両肩を抱かれ、軽く揺さぶられる。
そこで初めて、自分が助かったのだと実感した。
「どっか痛いとこあるか!? なあ、頼むから返事してくれ」
「……あ…大丈夫、です」
カラカラに乾いた喉を励ましながら、かすれた声で答える。
レオの顔が、酷く歪んだ。
「……よかった……心臓が潰れるかと思った…」
自分の左胸の服を、くしゃりと掴んだレオは。
「……ドロシーちゃんは?」
わたしのその言葉に、一瞬だけ苦しそうに表情を歪めた後。
決然と顔を上げた。
そして周囲を確認するわたしの腕を。
ドロシーちゃんを探して、走り出そうとしたわたしの腕を。
力強く引っ張って歩き出す。
「……脱出するぞ!」
その言葉は、わたしには死刑宣告のように聞こえた。
「ま、待って下さい!」
必死に抵抗した。
だってまだ。
「まだドロシーちゃんを助けていません!」
あの瓦礫の中に、ドロシーちゃんがいる。
どうにかして、ドロシーちゃんを助け出さないと。
「ドロシーちゃんを残しては行けません!!」
掴まれた手首を、外そうとした。
放してくださいと、懇願した。
なのに、放してくれない。
痣ができるほど強く握られているわけじゃない。
むしろその手は、とても優しいのに。
なのに、どうしても放してはもらえない。
「……ニーナ、ごめん…」
聞こえた、小さな謝罪の言葉。
顔をそちらに向ける。
綺麗な青い瞳と視線があった。
そしてわたしは。
動きを止めた。
「…レオ…」
「……お前の気持ちは痛いほど分かる。 だけど、ごめん…行かせては、やれねぇ…」
辛そうに揺れる瞳。
下がりきった眉。
レオの方こそ、今にも泣きそうな顔をしていた。
「……ごめんな」
また一つ謝罪の言葉を口にして、レオは歩き出した。
右肩に、気絶でもしているのか、ぐったりとしたジルさんを担ぎ。
左手でわたしの手を引きながら。
レオに手を引かれ、足が一歩前に出る。
ドロシーちゃんが、まだあの瓦礫の下にいる。
「……待って……」
ボロっと右目から涙がこぼれ落ちた。
無力感、焦燥感、そして絶望感。
心と頭がぐちゃぐちゃで、叫びだしそうになり。
歯を食いしばって、ギリギリ耐えた。
【あんたいつまでそうやって閉じこもってるつもり?】
ドロシーちゃん。
【ニーナ、待って!】
ドロシーちゃん。
【ニー…ナ…ねぇ…だい…すき…】
やっぱりドロシーちゃんを、置いてはいけない。
心臓がざわめき、足が止まりそうになる。
そのわたしを。
レオがまた引っ張った。
一歩。
また一歩。
燃え盛る炎の中。
歩いては止まりそうになるわたしを。
何度も何度も引っ張って、レオが進む。
「……ごめんなさい」
その謝罪が、誰に対するものなのかもよく分からないまま。
わたしは炎の中を歩き続けた。
冷たい外気が頬に触れた。
建物から出てみれば、あちこちから集まってきた人たちが、懸命に火を消そうと動いている。
こんなに沢山人がいる。
でも。
その中に、ドロシーちゃんはいない。
レオに手を引かれるまま。
わたしは少し離れた場所から、燃え上がる建物を呆然と見つめていた。
レオが背に担いでいたジルさんを、地面に寝かせているのが視界の端にうつる。
瞬きをする。
また涙がこぼれ落ちていく。
もうどうしようもない。
分かっているのに、涙が止まらない。
「……ここで待ってろよ、ニーナ」
その時、ふいに頭を撫でられた。
顔をそちらに向ければ。
「……ドラを助けに行ってくる。 だからもう、そんな泣くな」
レオが、にかっと口角をあげる。
助けに…行ってくれる?
あの燃え盛る建物の中に?
「……でも…」
「大丈夫だ、心配すんな。 この服は防火性に優れてんだ。 ドラ猫を助け出すくらい、わけねぇ」
「だからお前はここで待ってろよ」と、レオは笑う。
頬も、体も、全身が煤だらけで。
わたしを何度も庇ったせいで、あちこちに火傷を負ってる。
怪我も沢山してる。
なのに。
「……行っては、駄目、です」
頭の上から離れていく手を、寸前で掴み取った。
わたしをずっと引っ張って歩いてくれたその手は、ボロボロだった。
「……ニーナ、大丈夫だって。 俺は……」
「駄目です! 行ったら……」
服が防火性なんてきっと嘘だ。
だって彼は、誰よりも火傷を負っている。
それでもレオなら本当に、ドロシーちゃんを助け出してくれるかもしれない。
でももしかしたら。
彼も、戻らないかもしれない。
「行ったら……」
ああ、ドロシーちゃん、ごめんなさい。
心が引き裂けそうだった。
それでもわたしは、その言葉を口にした。
「行ったら、駄目、です」、と。




