40 ねぇ……大好き……
「……ドロシーちゃん、ずっとずっと大好きです」
震える声に、意識が少しだけ浮上する。
ニーナ?
なによあんた、また泣いてんの?
全くしょうがないわね。
今度は何があったのよ?
聞いてあげるから、話してみなさいよ。
そう言ったはずなのに。
おかしい。
声が出ない。
なんなのよ、これ?
「……悲しいな。 ニーナなら分かってくれると思ってたのに」
頭上から聞こえた悲しげな声に、体と頭が勝手に反応する。
この人は。
……そう、ジル、だ。
好き。
大好き。
ねえ、悲しまないで。
ゴロゴロと喉が勝手に鳴る。
体が、その男にすり寄る。
………は?
気持ち悪い。
心底そう思うのに。
なのにわたしは、一生懸命自分の体をそいつに擦り付けている。
なんなの、これ……。
【みぃつけた】
頭の中であの公爵の声が響く。
そうよ。
あの日わたしは、公爵の隙をついて逃げ出した。
でもすぐに壁際に追い込まれて。
何か道具を使われたのか、体が思うように動かなくなった。
ニコニコと不気味なほど穏やかに笑う公爵が、だんだん近づいてきて。
【うん、おやすみ、ドロシーさん】
それが、覚えている最後の言葉。
「……ねえ、ジル。 いつまで難しい話してるの? 早く戻って遊ぼうよ」
「うん、ごめんね、ドロシーさん? でも今はニーナと大事な話をしているから、もう少し待ってくれるかな」
「はあ? ニーナ? あんな地味な女のどこがいいのよ」
耳に聞こえてくる自分の声。
は?
ジル?
遊ぼうよ?
なんなのよ、その知性の欠片もない喋り方!
しかもニーナが地味な女、ですって?
ふざけないでよ。
あの子はね、磨けばそこそこかわいいのよ!
なのに口が勝手に動いて、公爵に甘える。
体が勝手に動いて、公爵に信頼の証を擦り付ける。
いったいなんなのよ、これ。
三度目になる疑問。
でも多分、答えはもう分かってる。
───中をいじられた。
ニーナが作ってくれた、わたしの体。
そこに刻まれた術式が、上書きされた。
多分、公爵に都合のいいように。
絶望感で眼の前が真っ黒になった。
はは。
魔道具に絶望する、なんて芸当が出来るのかと思ってたけど。
ちゃんと出来るみたい。
……嬉しくないわ。
「ドロシーちゃん。 ドロシーちゃん」
……ニーナの声が聞こえる。
うるさいわね、何度も言わなくてもちゃんと聞こえてるわよ。
………。
聞こえてる。
ちゃんと聞こえてるわよ、ニーナ。
ねえ、だからそんなに泣かないでよ。
「うるさいわよ、ブス! ちょっとジルに気に入られてるからって、調子に乗らないでよね」
「…こら、ドロシーさん」
「ニャアン」
体が、口が。
わたしの意志とは関係なく、勝手に動く。
その度に、ニーナの顔が悲しげに歪んだ。
絶望が、また一段深くなる。
……ねえ、ニーナ。
わたしね、ずーっと考えてた。
あんたのこと『友達だ』、『大事だ』って思うのは、あんたがそういう風に『作った』からなのかな、って。
わたしには心なんてもの、最初からなくて。
全部『そういう風に作られた』だけなのかな、って。
でも、さ。
変態公爵にすり寄っていた体を、意地で反対側に引き戻した。
機嫌よく鳴らしていた喉の動きを止め、必死でニーナと視線をあわせる。
瞬間、激痛が走った。
この痛みを感じないはずの体に。
それでもパチパチと音を鳴らしながら、痛みが駆け巡る。
「ドロシーちゃん、止めて下さい!」
ニーナの顔が、焦ったようにまた歪む。
ああ、多分。
公爵に逆らうの、まずいやつなのね。
中の術式だけが停止でもするのか。
それとも体そのものが壊れるのか。
詳しくはわからないけど。
あのニーナの表情を見る限り、良くないことだけは分かる。
うん、分かるわよ。
何年あんたと一緒にいたと思ってんのよ。
チカチカと視界が明暗を繰り返した。
ねえ、ニーナ。
例え、さ。
わたしの心が作られたものだとしても、さ。
それでもわたし、楽しかったよ。
あんたがバカやって。
あんたを心配するパパさんの髪が、年々少なくなっていって。
変態パンツがそこに加わって。
それからは、どんどんあんたの世界は広がっていった。
本当のこというとね。
あんたがペン吉を追いかけて、外に飛び出していった時。
自分で扉を開けて、太陽の下に駆け出していった時。
ほんの少しだけ、寂しかった。
わたしだけ置いていかれるのが怖かった。
でもそれよりも、ずっとずっと、嬉しかった。
ああ、あんなに泣いてた子が。
わたしがいなきゃ駄目だった子が。
わたしの手を離れて一人で歩き出したんだな、って思った。
ねえ、ニーナ。
あんたは友達が欲しくてわたしを作ったんだよね?
でも、さ。
もう出来たじゃない、友達。
「ドロシーちゃん」
「ドロシーさん」
「おい、ドラ!」
わたしを呼ぶ3つの声。
……おかしい、一つだけおかしな愛称が混じってるわね。
顔を上げれば、ニーナを後ろにかばうようにして立つ、ペン吉の姿が見えた。
けれどそれも一瞬で。
瞬きをする間に、それは長身の人間の男に姿を変えた。
ああ、もう目の機能もおかしくなってるのかしら。
あの変態パンツの中身が、あんなイケメンなわけないわよね。
そう思うのに。
心のどこかが、あそこに立っているのはペン吉なのだと納得していた。
ペン吉のくせに生意気な。
でも。
まあ、ね。
いいんじゃないの。
あんたにならニーナを任せてやってもいいわ。
「……ニ…ナ」
体を縛り付ける強制力、のようなものに必死で抗った。
少しだけ、自由が戻ってくる。
ニーナに向かって一歩足を踏み出した。
顔をグシャグシャにしたニーナが見えた。
「……ニー…ナ……ばか、ね。 ……なに、泣いて…んの、よ…」
泣かないでよ。
わたしは、あんたのあの少しマヌケな笑顔が好きなのよ。
だから。
「……わらっ…てよ…」
わたし、あんたの友達のままでいたい。
あんたを忘れて、他の誰かのとこにはいきたくない。
そう思う心はさ。
わたしだけのもの、だよね。
作られたものじゃない。
わたしだけの心。
だから。
公爵にすり寄るわたしは、わたしが認めない。
「……ニー…ナ……ねぇ…だい…すき…」
青白い何かが、視界いっぱいに広がった。
体を駆け抜ける激痛。
そして。
スルリ、と首に巻かれていた何かが外れる感触がした。
チリン。




